こんにちは! 物書きの忍者です!
今回は、自由という言葉に潜んでいるリスクを考えてみたいと思います。
みなさんは、『自由』に対してどんな印象を持っていますか?
『自由』とは言い難い人間関係などで息苦しさを感じてしまうことの多い私たちにとっては、『自由』という言葉は素晴らしいモノのように聞こえるかもしれません。
しかし、実は『自由』というのは良い事ばかりではなくて、私たちにとっては生きる上でとても厳しい部分も持ち合わせています。
ここでは、『自由』という言葉をどこか神聖視しがちな私たちのために、自由という言葉に潜んでいるリスクを紹介していきます。
自由という言葉に潜んでいるリスク
先に結論から言いますと、自由という言葉に潜んでいるリスクとは『間違った選択でも自己責任で行動しなければいけない』というものです。
もう少しわかりやすく言うと、『自由』というのは無数にある選択肢の中から自分の意志のみで道を選んでいくことを指しており、言い換えるとその選択の結果として苦しい状況に立たされたとしても責任の全てを選んだ自分自身で払わないといけないという厳しい面を持っているのです。
例えばの話、『自由』ではない状況というのを想像してみてください。
自由でないという事は「お前はこれをしていればいいんだ!」と他者の選択によって自分の意思を束縛されている状態です。正直、あまり良い印象は受けないと思います。
しかし、ここで逆に考えてみましょう。「お前はこれをしていればいいんだ!」と他者の選択によって自由な意思を持てない状態の時、その選択をした責任というのは誰がとるべきなんでしょうか?
ようするに何が言いたいかというと、自由でない状態というのは言い換えると他者に選択の責任も委ねるということで、もしも結果として厳しい状況になったなら「お前がこんな選択をしたからだ!」と失敗した責任を追及できる可能性もあるのです。
誰かに命令されて行動するというのは悪い印象を持たれがちですけど、実際には間違った選択をした場合の責任を自分で取らなくてもいいという良い部分もあるのだと理解しておきましょう。
自由な社会というのは弱肉強食の社会?
そもそもの話、『自由』というのは私たちが思っている程に素晴らしいモノなのでしょうか?
「は? 何言ってんだお前?」と思われたかもしれません。しかし、正しいかどうかも分からない選択を迫られ、その責任を自分で取らなければいけないというのは幸せとは言い難い気もします。
しかも、実は『自由』にはもう一つリスクが潜んでいるのです。
そのリスクとは、簡単に言ってしまうと『弱肉強食』ということで、自由に選択できるということは言い換えると私たちは質の良いモノしか選ばれなくなるということです。
あたり前ですけど、もしも私たちが自由にモノを選べるようになったら、質の高い自分にとって良いと思えるモノだけを選ぶはずです。それは逆に言うと、自分が販売する側だった場合、その商品の質が低ければ選んでもらえない可能性もあるわけです。
正直な話、今の社会って昔と違ってかなり『自由』になっています。なにせ今ではネットショップの開設など、商売や行動のほとんどを本人の気持ちさえあればメッチャ簡単に実行できるわけですから、選択の自由にあふれた社会と言えるはずです。
しかし、そんな『自由』なはずの社会なのに皆が幸せというわけではありません。むしろ、今の社会の方が不幸だと感じている方は多いと思います。
それは自由な社会というのは、実は多くの人に受け入れられる商品をつくれるような強い者だけが生き残れる『弱肉強食』の社会だからです。
なので『自由』というのは神聖視するほどのものではなくて、実際には多大なリスクも抱えているものなのだと理解しておきましょう。
さいご
今回は、自由という言葉に潜んでいるリスクを考えてみました。
まとめると、
- 自由という言葉に潜んでいるリスクとは『間違った選択でも自己責任で行動しなければいけない』というもの
- 『自由』というのは無数にある選択肢の中から自分の意志のみで道を選んでいくことを指しており、言い換えるとその選択の結果として苦しい状況に立たされたとしても『責任の全てを選んだ自分自身で払わないといけない』という厳しい面を持っている
最後までお読み頂きありがとうございました。
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