こんにちは! 物書きの忍者です!
今回は、文字による表現が衰退しない理由を考えてみたいと思います。
みなさんは、最近になって小説を読んだことはありますか?
正直、普段から小説を読んでおられる方は少数派だと思います。履歴書の趣味の欄に『読書』と書いたことのある人でも、その殆どは活字ではなくマンガなど絵の多用された本である筈です。
そんな日に日に利用者の減少している分野なのに、なぜ小説は今でも読み続けられているのでしょうか?
ここでは、そんな利用者の少ない筈の小説がなぜ今も消えることなく続いているのか、文字による表現が衰退しない理由を考えていきます。
文字による表現が衰退しない理由
先に結論から述べますと、文字による表現が衰退しない理由とは『個人の理想を容易に生み出せる』からです。
もう少し具体的に言いますと、絵や映像による表現方法ではどんなに発展していても、人の価値観や考え方の違いによってどうしても差異が発生するが、文字による表現だとそんな考え方の違いなど関係なく共通の認識を持たせることが出来るのです。
そもそもの話ですけど、なぜ文字による表現よりもマンガのように絵で表現されている物の方が、私たちの間で好まれているのでしょうか?
その理由の一つを簡単に言ってしまうと、それは絵や映像によって表現されている物の方がイメージをしやすいためです。
どういうことかというと、例えばの話、マンガを読んでいる場面と小説を読んでいる場面をそれぞれ想像してみてください。そこで質問なんですけど、仮にそのマンガと小説はそれぞれまったく同じ内容のことが書かれていたとして、ぶっちゃけどっちの方が分かりやすいでしょうか?
たぶん、ほとんどの人は絵で表現されたマンガの方を選択するはずです。なぜなら、小説だと読んで頭に入れた文字を理解するために絵や映像として処理する工程が必要になりますけど、マンガだとその面倒な工程を大幅に削減できるからです。
ようするに、マンガの方が絵として表現されている分だけ内容が分かりやすいから小説よりも私たちの間で好まれているのです。
それを踏まえた上で、文字による表現が衰退しない理由を考えてみましょう。常識的に考えると、それは文字による表現である小説にはマンガにない利点が存在するからです。では、それは何でしょうか?
簡単に言ってしまうと、その利点こそ『個人の理想を容易に生み出せる』という部分なわけです。
どういうことなのかざっくりとした説明をしますと、例えば「誰もが認める世界一の美女」という題目で実際に文字と絵それぞれで表現しようとしている場面を想像してみてください。
ここで絵を描くのが上手い人なら、スラスラと一枚の絵を完成させてしまうかもしれません。しかし、それは本当に「誰もが認める世界一の美女」と言えるのでしょうか?
もしかすると、そこに嫌味な人がやってきて絵を見ながら「これのドコが美女だよ! どう見ても不細工じゃないか!」と文句をつけるかもしれません。
次に文字による表現を想像してみましょう。これは非常に簡単で「誰もが認める世界一の美女」と紙に書いてしまえば終わります。後は、その一文を読んだ人が思い思いの「誰もが認める世界一の美女」を自分の頭の中で勝手にイメージしてくれます。
ようするに何が言いたいかというと、絵や映像による表現だと個人の価値観に左右されてしまう為、どうしても「誰もが認める世界一の美女」みたいなものを出すことだ困難ですが、文字による表現だとそうした認識をたった一文によってそれぞれの頭の中にイメージとして作り出すことが容易にできるのです。
なぜ映像が発展していく中でも小説という文化が残り続けているのは、『個人の理想を容易に生み出せる』という文字でしか表現できない部分が存在しているからなのだと理解しておきましょう。
さいご
今回は、文字による表現が衰退しない理由を考えてみました。
まとめると、
- 文字による表現が衰退しない理由とは『個人の理想を容易に生み出せる』から
- 絵や映像による表現方法ではどんなに発展していても、人の価値観や考え方の違いによってどうしても差異が発生するが、文字による表現だとそんな考え方の違いなど関係なく共通の認識を持たせることが出来る
最後までお読み頂きありがとうございました。
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