途中でやめてしまうことへの罪悪感【一つに執着するのは良い事ではない?】

雑談

こんにちは! 物書きの忍者です!

今回は、途中でやめてしまうことへの罪悪感について考えてみたいと思います。

みなさんは、いつも三日坊主になってしまう自分に後ろめたさを感じたことはありませんか?

思い切って初めてみたことなのに、なかなか続けられる、結局やめてしまって落ち込んだ経験のある方は意外にいると思います。

一つの事を究めようとして長い間続けるということを美徳みたいにとらえている日本人にとっては、特に継続できていないことは甘えだとかマイナスのイメージを持たれがちです。

・・・しかし、途中でやめてしまう行為は、私たちの思っているように悪い事なのでしょうか?

ここでは、マイナスな印象しかない途中でやめてしまうという行為に関して、本当に悪い面しか存在しないのかを考えていきます。

途中でやめてしまうことへの罪悪感

先に結論を言ってしまうと、途中でやめてしまうという行為に関して、存在しているのは悪い面だけではありません。

なぜなら、自分の優先すべき目的を達成するために、自分には向いていないと感じたものなら敢えてやめてしまうという行動も必要になるからです。

正直な話、「あきらめるな! 最後まで頑張れよ!」という言葉を知らず知らずのうちに肯定してしまっている私たちの中では、どうしても途中でやめてしまうという行為というのは逃げる行為として否定的に捉えがちだと思います。

例えば、有名な俳優さんが唐突に記者会見を始めて「ちょっと飽きたから俳優止めます」なんて言った日には、そこら中から罵詈雑言が飛び交うはずです。

それぐらい、私たちの中では途中でやめてしまう行為はマイナスの印象があるのです。

それを踏まえたうえで、そうしたマイナスの印象しかないように思える途中でやめてしまう行為の裏には、実は、隠された意外なメリットがあるのです。ここから、そのメリットとは何のことなのか、順を追って説明していきます。

ちょっとだけ考えてみてほしいのですが、例えばの話、今すぐに隣接する都道府県に移動しなければいけなくなったとしましょう。その時、あなたはどのような行動に出ますか?

  • ネットから飛行機の予約をする
  • とりあえず近くの駅に向かう
  • 真っ先に車のキーを手に取る

他にも思いつく手段は色々あるはずです。ようするに何が言いたいかというと、私たちは「足が速くなるには、とにかく走るしかない!」みたいに一つの物事に捉えられがちですけど、実際は隣接する都道府県に移動するという行動でさえ複数の選択肢が存在しているように、自分では気付いていないだけで他に方法が見つかる場合もあるのです。

途中でやめてしまう行為というのは、そうした複数ある選択肢の中から自分に合った方法を見つけるために最良の手段なのです。

いまいち納得のいかない方のために、もう少しわかりやすい例でいうと『片付け』を想像してみてください。

あれって、なんでもかんでも「これ捨てられない!」と放置してしまうと、どんどん部屋の中を圧迫して、後から新しいモノを入れることのできない窮屈な空間にしてしまいます。そうならない為には、自分にとって本当に必要な物だけを残して、いらない物は捨てていくことが必要です。

つまり、途中でやめてしまう行為というのは、この片付けの時に行う不必要な品を捨ててしまう行為なんだと思っておいてください。

正直、一つの事を究めようとして長い間続けるという行為は素晴らしい事だと思っています。ただ、だからといって途中でやめてしまう行為は悪い事であり、絶対にしてはいけない事なのだと思っておくことは片付けのできない部屋のように人生を窮屈にしてしまうので、できるだけ避けておきましょう。

さいご

今回は、途中でやめてしまうことへの罪悪感について考えてみました。

まとめると、

  • 大前提として、途中でやめてしまうという行為に関して、存在しているのは悪い面だけではない。
  • 自分の優先すべき目的を達成するために、自分には向いていないと感じたものなら敢えてやめてしまうという行動も必要になるから

最後までお読み頂きありがとうございました。

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