こんにちは! 物書きの忍者です!
今回は、正論で相手を傷つけないために注意することを考えてみたいと思います。
みなさんは、正論によって相手を注意した経験はありますか?
道理に合っていない言動や行動を目の前にして、それを正すために間違いを指摘する行為は、日常でもよく見かける当たり前のことだと思います。そのため、正論を吐くこと自体に罪悪感のようなものを抱いている方はいない筈です。
しかし、その正論によって相手を傷つけてしまう場合もあるのです。
ここでは、そんな他者を無意識に傷つけたりしないために、正論で相手を傷つけないために注意することを考えてみたいと思います。
正論で相手を傷つけないために注意すること
先に結論から言いますと、正論で相手を傷つけないために注意することとは『自分の常識と相手の常識を意識しておく』ことです。
もう少し具体的に言うと、相手の行動や言動の間違いを正そうとする際には、その間違いというのが自分の中だけの常識ではないか、ただ相手が知らないだけではないかなど、その常識に疑いを持っておく必要があるのです。
そもそもの話、私たちはどういった状況の時に『正論』を使うでしょうか?
ざっくりとした説明をしますと、それは「これぐらい常識だろ!」みたいに自分の中にある価値観を相手に押し付けようとする際に発生します。つまり、私たちそれぞれの中にある世間という視点からみて異質とされる行動や言動に対して、それを正そうとする時に起きています。
例えばの話で、ギャグマンガやコメディ映画を想像してみてください。そこで「こんなの馬鹿な行動、現実にやる奴がいるわけないだろ!」と正論を吐いている人が傍にいたとしたら、どう思いますか?
たぶん、殆どの人は「何言ってんだお前?」とその人に冷めた視線を向け、周囲は嫌な空気になると思います。
ようするに何が言いたいかというと、『正論』というのはコメディ映画のように、使ってしまうと逆に周囲の空気を悪くしてしまったり、相手を傷つけてしまう場面が存在しているのです。
ただ、こんな言い方をすると「じゃあ、正論は言わない方が良いんだな」と思われた方もいるかもしれません。しかし、誤解のないように言っておきますと、そうではなく、正論によって間違いを正さなければいけない場面も多々あります。
注意してほしいのは『正論』として自分が何気なく使っている常識は、私たちの身の回りにだけ通用するもので、正論を言っている相手にはまったく理解できない可能性がある事なのです。
前提としまして、私たちが『正論』を言うときは、相手が自分の常識に反する間違った行動や言動をしているのを目にした際に起こっています。ようするに、その相手にとっては、『正論』として自分の中にある常識がそもそも頭にない可能性があるのです。
そのため、例えばの話で、職場において仕事でミスをしてしまった部下に上司が「こんな簡単なこともできないのか!?」と怒鳴ったとしましょう。その時、上司にとっての常識では「簡単な仕事」でも、部下にとっては「やり方のわからない難しい仕事」みたいに認識の違いが発生しまうのです。
ようするに、『正論』というのは、この認識の違いによって相手を傷つけてしまうこともあるのです。
なので、そうならない為にも、安易に自身の常識を基にした『正論』によって相手の間違いを正そうとするのではなくて、相手の中にある常識にも目を向けてみる意識を持ってみましょう。
さいご
今回は、正論で相手を傷つけないために注意することを考えてみました。
まとめると、
- 正論で相手を傷つけないために注意することとは『自分の常識と相手の常識を意識しておく』こと
- 相手の行動や言動の間違いを正そうとする際には、その間違いというのが自分の中だけの常識ではないか、ただ相手が知らないだけではないかなど、その常識に疑いを持っておく必要がある
最後までお読み頂きありがとうございました。
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