こんにちは! 物書きの忍者です!
今回は、否定することで生じる意外な弊害について紹介します。
みなさんは、誰かの意見を否定したことはありますか?
したことのない方はいないと思います。誰にでも好き嫌いというものがある様に、どうしても受け入れられない考え方や意見を前にした際に、思わず拒んでしまった経験のある方は意外にいる筈です。
ここでは、そんな誰もが一度はしたことのある何気ない行動、否定することで生じる意外な弊害を紹介していきます。
否定することで生じる意外な弊害
先に結論から言いますと、否定することで生じる意外な弊害とは『自身の成長を阻害してしまう』ことです。
もう少し具体的に言うと、誰かの意見を批判して受け入れない行為というのは、結果的に変化を拒むことにもつながり、自分の成長させる可能性を狭めてしまい意固地にさせてしまうのです。
前回、イソップ寓話にある『すっぱい葡萄』の話をしました。
知らない。覚えていない。という方のために簡単な内容を説明しますと、高い木の上に実ったブドウを一匹の狐が取ろうとして、どんなに頑張っても取れなかったために「どうせ、あんなブドウはすっぱいに決まってる」と言いながら諦めてしまうという話です。
そこでちょっとした疑問なんですけど、そもそも狐が必死になって取ろうとしていたブドウって、結局のところ本当すっぱかったのでしょうか?
もしかしたら、狐の言うように不味かったかもしれません。ただ、逆にほっぺが落ちるくらいに美味しかった可能性も残されています。実際に食べるという経験をしてみないと、答えは分からない筈です。
ようするに何が言いたいかというと、誰かの意見を批判して受け入れない行為というのは、この「どうせ、あんなブドウはすっぱいに決まってる」と決めつけて諦めてしまった狐と同じく、『美味しいブドウを食べる』という最良の結果を捨ててしまっている可能性があるのです。
ここで少し嫌な言い方になりますけど、ぶっちゃけた話、誰かの意見や考えを否定するというのは簡単な行為なのです。
なぜなら、自分の中で正しいと思っている事だけを信じていればいいわけですから、世間の厳しさとかは関係なく、正直、私たちにとって楽だと感じる筈です。
しかし、言い逃れのできない事実として、私たちの世界は今も変化し続けています。それはもう、物凄い速さで、私たちの中にある常識をとめどなく塗り替え続けています。
なので、残念なことに、私たちが今も信じている常識が、明日も世間の常識として通用する可能性は亡くなってしまっているのが現状なのです。まず、その事を理解しておきましょう。
だからこそ、自分だけの考え方にとらわれず、絶えず成長していくことが今の時代には必要で、誰かの考えや意見を否定するのは、狐が「美味しブドウを食べる」という可能性を永遠に捨ててしまうくらいに避けるべきことなのです。
なので、そうした『自身の成長を阻害してしまう』という事態を引き遅さないためにも、誰かの意見を無暗に批判することは避けていきましょう。
さいご
今回は、否定することで生じる意外な弊害について紹介しました。
まとめると、
- 否定することで生じる意外な弊害とは『自身の成長を阻害してしまう』こと
- 誰かの意見を批判して受け入れない行為というのは、結果的に変化を拒むことにもつながり、自分の成長させる可能性を狭めてしまい意固地にさせてしまう
最後までお読み頂きありがとうございました。
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