こんにちは! 物書きの忍者です!
今回は、意外と見落としてしまっている幸福について考えてみたいと思います。
みなさんは、自分は目敏い方だと思いますか?
正直、そうだと即答できる方はあまりいないと思います。私たちは、周りの状況をちゃんと見えているようで、実は見落としてしまっていることが結構あったりします。
ここでは、そんな私たちが意外と見落としてしまっている幸福について考えてみたいと思います。
意外と見落としてしまっている幸福
先に結論から言いますと、意外と見落としてしまっている幸福とは『毎日あたり前のように起きていること』です。
もう少し具体的に言うと、私たちは突発的な幸運に対して反応してしまいがちで、食事の心配がないだとか、病気を患っていないなどといった普段の状態に幸せや感謝をすることが少ないのです。
そもそもの話ですけど、私たちはどういったときに喜びや感謝をするでしょうか?
まあ、あたり前の回答としては、宝くじが当たるとか、売り切れ寸前で特売の商品を買えただとか、私たちにとって幸福だと思える出来事に遭遇したときです。別な言い方をするなら、普段とは違った状況や場面のことを指していると思います。
ようするに何が言いたいかというと、私たちはそうした偶然の出来事や稀に出会ったことに対して、過剰に反応してしまう傾向にあるのです。
それを踏まえたうえで考えてみてほしいんですけど、ぶっちゃけた話、今の私たちって不幸なのでしょうか?
「不幸に決まってんだろ!」と言いたくなった方はいるかもしれません。確かに、今この瞬間にも苦しい状況に立たされている方は大勢いると思います。ただ、自分は本当にその『苦しんでいる大勢』の中に含まれているのか、もう少しだけ考えてみてください。
ちょっと極端な意見かもしれませんけど、こうしてネットをみれているということは、殆どの人は自分の自由に使える時間が少なからず存在していて、体に異常をきたすような重い病気や障害を持っているわけでもないのだと思います。
睡眠や自由に使える時間を持っていて、しかも健康である。世間で遊ぶ時間などまったくないと人たちや、病気や障害で苦しんでいる方たちと比べたら、私たちはかなり恵まれている筈です。
正直、こんな言い方をすると、単なる偽善者の嫌味にしか聞こえないかもしれません。誤解しないでほしいのは、別に「お前は周囲より恵まれてるんだから、感謝しろ!」と傲慢な意見を述べたいわけではありません。ここで注意してほしいのは「自分で自分を不幸にしていないか」という問題なのです。
もう一度だけお尋ねしますけど、私たちって不幸なのでしょうか?
そうだと言い切ることはできない筈です。他の人から見ても不幸でしかないという思えるような方でさえ、ご飯がおいしかっただとか、誰かにお礼を言われたとか、今迄の長い人生の中で、幸福を感じられる瞬間が少なからず存在していた筈です。
嫌なことすべてから目を逸らせというわけではありません。泣きたいときは泣いてもいいですし、怒ったり、誰かを羨んだり、嫉妬してもいいです。・・・というか、私も偶にですけど仕事でブチ切れて、携帯なんかを地面に叩きつけたりしています(汗)
だからといって、自分の今の状況を漠然と不幸だと決めつけるのではなくて、『毎日あたり前のように起きていること』にも意識を向けて、ちょっとした幸福にも目を向けるようにしてみましょう。
さいご
今回は、意外と見落としてしまっている幸福について考えてみました。
まとめると、
- 意外と見落としてしまっている幸福とは『毎日あたり前のように起きていること』
- 私たちは突発的な幸運に対して反応してしまいがちで、食事の心配がないだとか、病気を患っていないなどといった普段の状態に幸せや感謝をすることが少ない
最後までお読み頂きありがとうございました。
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