意外としがちな間違った評価基準【悪人より一般人の方が偉い?】

知識

こんにちは! 物書きの忍者です!

今回は、意外としがちな間違った評価基準について考えてみたいと思います。

みなさんは、自分は公正に評価されていると感じていますか?

具体的に、贔屓されているだとか、不正などを感じる瞬間というのはあまりないかもしれません。

しかし、小説やマンガといった空想の物語に限った話ではなくて、身近にあった問題だと黒人と白人による差別など、どうしても生まれた身分や立場によって評価が変わってしまう場合は存在しています。

ここでは、私たちが知らないうちにしてしまっている、意外としがちな間違った評価基準を考えてみたいと思います。

意外としがちな間違った評価基準

先に結論から言いますと、意外としがちな間違った評価基準とは『低い位置から上がっていく行為を評価しすぎる』ことです。

もう少し具体的に言うと、私たちは普通に暮らしていた一般人がボランティアに励むという話よりも、罪を犯した者が悔い改めて社会貢献に勤しむという話の方を好むように、知らず知らずのうちに、その理由はどうあれ低い立場に置かれた者が努力して駆け上がっていくということを、必要以上に評価しがちになっているのです。

そもそもの話、私たちは苦しい環境の中で努力している人間という好む傾向にあります。

想像してみてほしいのですが、仮に、周囲にひどく冷遇されて生活している人物を主人公にした作品があったとして、主人公が周囲からの扱いに耐えて必死に努力していた結果、最後に努力が報われることもなく、あっさりと死んでしまったとしたら、大半の人にとっては面白くないと感じる筈です。

その作品の世界観とかは無視するとして、誰しも、主人公を冷遇していた者達に何かしらの罰が下り、努力が実って幸せになる結末の方を好むと思います。

ここで少しだけ考えてみてほしいのですが、この例に出した作品の主人公に関しまして、もしも「周囲にひどく冷遇されて生活している人物」ではなくて、「みんなから愛される裕福な家庭で生活する人物」だったとしたら、どう感じるでしょうか?

たぶん、同じ内容の努力をしていたとしても「周囲にひどく冷遇されて生活している人物」のとき程の好感を持つことはできない筈です。

ようするに何が言いたいかというと、私たちは誰かを評価する際に、内心では平等にしようと考えながらも、無意識に相手の立場なんかを参考にして評価に影響を与えてしまっているのです。

例えばの話ですけど、とある悪人が更生して社会貢献するようになったとしましょう。ものすごく個人的な意見を言えば、それ自体は確かに素晴らしい事だと思います。

ただ、それを必要以上に良いこととして受け取るのは間違いで、当たり前かもしれませんが、罪を犯さずに生きながらも社会貢献している人たちの方が絶対に偉いです。なのに、私たちは一旦マイナスの評価を受けている方にばかり意識を向けがちで、そんなもっと評価すべき人達を蔑ろにしている可能性があるのです。

別に「今さら良い事したって、お前らの罪は消えねぇんだよ!?」みたいなことを言いたいわけではありません。正直どんな理由であれ、一度罪を犯したからといって、関係者でもない人間までその人を必要以上に冷遇してしまうのは間違っているとは思っています。

ただ、その逆で、悪人の更生する姿にばかり気を取られて、普通に生活しながらも努力している人たちに気付かずにいることは、私たちにとって間違った行為だと思っておきましょう。

さいご

今回は、意外としがちな間違った評価基準について考えてみました。

まとめると、

  • 意外としがちな間違った評価基準とは『低い位置から上がっていく行為を評価しすぎる』こと
  • 私たちは普通に暮らしていた一般人がボランティアに励むという話よりも、罪を犯した者が悔い改めて社会貢献に勤しむという話の方を好むように、知らず知らずのうちに、その理由はどうあれ低い立場に置かれた者が努力して駆け上がっていくということを、必要以上に評価しがちになっている

最後までお読み頂きありがとうございました。

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