エレベーターに乗れない【中学で不登校だった私の体験談】

知識

こんにちは! 物書きの忍者です!

今回は、上手くいかない現状に悩んでいる方に向けて、中学時代に不登校だった私の体験談を紹介します。

今の状況を改善したいと心の中では思っているのに、体が思うように動かなくなった経験はありませんか?

  • 明日やろうと思っていたことを始められない
  • 誰かとコミュニケーションをとるだけでつらい
  • 上手くいっていた幼少の頃ばかり思い出してしまう

色々とつらい環境やプレッシャーのかかる状況は至る所に存在し、社会に出る出ないにかかわらず必ず遭遇してしまうのが現代です。生きていくだけでしんどくなってしまう人はとても多いと思います。

これは私の勝手な考えですが、生きているのをつらく感じている人達に対して、闇雲に「ガンバレ!」などと応援されてもただただ不快に感じると思っています。無理して頑張った結果が今なのですから、他人にどうこう言われたくはないでしょう。

これから紹介するのは、中学の時に不登校だった私の体験談です。私が不登校になっている間の事を話そうと思います。

別に、これを読んだみなさんに「ガンバレ!」と声高に宣言したいわけではありません。勇気づけたい、元気になってほしいという偉そうな気持ちはほんの少しだけあります。ただ、バカにするでも斜に構えるのでもいいから「こんな奴もいるんだなぁ」位の感覚で見てくれると嬉しいです。

これから話す中学時代に不登校だった私の体験談は主に三つです。

  • エレベーターに乗れない
  • 自分をダメ人間だと思う
  • 稀に、布団の中で泣きたくなる

一つずつ解説していきます。

エレベーターに乗れない

私が不登校になったきっかけは、ある日を境に、学校へ行く時だけエレベーターに乗ることが出来なくなったからです。

私の実家はマンションで暮らしていたのですが、学校に向かう時に限って、私はエレベーターの前で立ち止まりUターンしていました。

学校のために通ろうとするとエレベーターのドアは、その時だけ難攻不落の門に変わっていたからです。

学校以外の時はすんなり通れるので、不審に思っていたであろう家族以上に、私自身も不審に思っていました。なんでこんなこともできないんだと、Uターンして家に帰った後に自分を責める毎日です。

学校の時にエレベーターを降りられなくなった理由は思い出せません。小学生の頃から学校と言う場所があまり好きではなかったので、「行きたくないなぁ」と思うことは不登校になる前からしょっちゅうありました。

そんな気持ちが徐々に大きくなり、中学でのイジメを発端にしてそうなってしまったのではないかと、時が経ち冷静になった今は考えています。

何度かエレベーター前からUターンする日を繰り返すうち、いつしか外にも出られなくなり、完全に引きこもりの状態になりかけました。その時は、決まった時期に利用している理髪店に行く日になり、何とか外に出ることが出来ました。

この時、習慣や慣れというのは、良い意味でも悪い意味でも自分自身に強い影響を及ぼすのだと実感しました。悪い習慣は捨て、良い習慣を大事にしておくことをオススメします。

自分をダメ人間だと思う

不登校の私は、自分はこの世界にとっていらない存在なのだと、明確な理由もなく自分を攻め続けていました。

まぁ、今でも自分はダメ人間だとは思っています。しかし、不登校の時には明確な理由もなく、家族とか学校に限らず、社会だとか世界だとか無駄にスケールのデカいところで、自分の存在はいない方が良いと思い込んでいました。

落ちる時はとことん落ちます。悪循環を表す意味でデフレスパイラルなんて言葉もありますが、不登校の時の私はネガティブスパイラルとも言える状態にありました。

小さな成功体験を積み重ねて脱出しよう!」というこの時期にテレビかネットで得た情報を今でも覚えています。体験する前の段階で失敗して余計落ち込んだ時の対処法を教えてほしかったとメチャクチャ思いました。

余計にダメ人間だと自覚する体験を積み重ねただけでした。

この時期は、ただ寝るやテレビを見る以外の行動すべてに多大なエネルギーを必要としましたから、何かを始めるだけでしんどい。ゲームみたいに始めてすぐに得るものが無ければ、なおつらい。

風邪や熱を出している状態に近いです。お腹も空きませんし、体が怠くて何もやる気になれません。それでも無理やり食事をして、風呂に入って寝ると、何とか元気になれました。

ある意味、今も生きていることが成功体験みたいな状況です。この時期に限った話ではなく、成功を求めて何かに挑戦をすることはやめた方がいいと思います。

稀に、布団の中で泣きたくなる

周囲への罪悪感から、たまに泣きたくなる時がありました。

私が不登校だった頃、まったくやる気のない時期と現状を打破しようとやる気を出す時期が交互に来ていました。誰の目から見ても、情緒不安定な人です。この時、迷惑をかけている家族や学校の事ばかり考えていました。

その為、罪悪感や危機感はメチャクチャ持っていたので、今の状況を改善するための計画を毎日のように練っていました。他人事みたいな言い方になりますが、不登校のくせに物凄くマジメです。

そして、やる気の起こった時期に実行します。その後、計画を失敗して掛け布団に包まって泣くという一連の行動が、この時期の私の恒例行事でした。

どんな計画を立てていたかと言うと、

  • 食事と風呂と寝る時間以外は毎日勉強!
  • 腕立て伏せ100回、腹筋100回、スクワット100回その他諸々100回ずつ!
  • +αで一ヶ月くらいで勉強と筋トレのメニューを倍にする!

イメージとしてはこんなのを本気で計画していました。引きこもり状態のモヤシ少年にいきなり実践できると思いますか? もしできたらスーパーマンです。

今思い出しても恥ずかしい話です。この時は、明らかに無理な計画だと理解することもできませんした。行動してどうなりたいかとかではなく、計画すること自体を目的にしていた気がします。

ただ、この不登校の時期に得た良い習慣も一つだけありまして、それは本を読むことでした。本を読むことはあまり好きでなかった私が、本格的に読書を始めたのは不登校になってからです。

その時は、計画などは立てずに、偶々近くにあった親の読んでいた本を手にしたことがきっかけで、無駄な体力やエネルギーを使わずに、ただ急に好きになったから毎日のように本を読んでいました。

この時、何かを得ようだとか、改善しようだとか一切考えていません。ですので、本としての意味をなしていたのか疑問に思うところはあります。

ただ、私の得た教訓としては、無理のある計画をするよりも今できること、好きなことを毎日少しだけやることが大事だと思いしました。

さいご

今回は、中学時代に不登校だった私の体験談を紹介しました。

最後に私の思ったことを一つだけ伝えようと思います。どうでもいい思い付きのようなことなので、無視してもらってもいいように最後に書きます。

よく「人は変われる」などと言う人をみかけますが、あれは誰かに向かって言っているんじゃないと私は思っています。

人は変われる」と誰かが言っているのを聞いて、不登校時代の私はブチ切れていましたが、今にして思うと、あの言葉は今を苦しんでいる人に向けられた言葉ではなく、言った本人に向けられた言葉なんだと感じます。

俺は変われたぞ!」と宣言しているのではないでしょうか。実際に苦しい状況から脱してきた人達がこの言葉を吐く時に、ふとそう思いました。

だから、苦しい状況に置かれて、ゴールの見えていない人は、誰かに「人は変われる」と宣言することを目標にしてはどうでしょうか。

この記事が少しでも役に立ってくれると嬉しいです。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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