ソクラテスの「無知の知」

哲学

こんにちは! 物書きの忍者です!

今回は、ソクラテスの「無知の知」について紹介します。

みなさんは、ソクラテスという名前を聞いたことはありますか?

哲学者の中でも有名な人物なので、聞いたことのある方は意外に多いかもしれません。そんな彼の唱えたことの一つに「無知の知」という言葉があります。

ここでは、その言葉の意味、ソクラテスの「無知の知」について紹介していきます。

ソクラテスの「無知の知」

正直な話、教科書などで「無知の知」という言葉を見聞きした記憶のある人はいると思います。そんな人の中には、「無知の知」というのは、「自身が無知であることを知っている人は、それを自覚していない人よりも賢い」みたいな意味で捉えているかもしれません。

しかし、それは大きな間違いです。

最初に、この言葉の意味について簡単に言ってしまうと、「無知の知」というのは「無知の自覚を持った時にこそ、人は真理を知りたいという情熱が出てくる」みたいな意味になります。・・・とはいえ、こう言われても、ちんぷんかんぷんだと思います。

言葉の意味を本当に理解するためには、まず哲学者ソクラテスの活躍していた時代、紀元前469~紀元前399年にまで遡る必要があります。

この年代を目にした瞬間、哲学者プロタゴラスのことを思い浮かべた人は少なからずいる筈です。実を言いますと、ここでプロタゴラスの唱えた『相対主義』というのが深く関わってきます。

紀元前400年頃、この時代では『相対主義』の影響によって「価値観なんて人それぞれさ」みたいな考え方が人類の主流となっていました。

それは一見すると何の問題もないように思われるかもしれませんけど、多くの政治家たちが演説をして自己の主張を戦わせていた時代において「価値観なんて人それぞれさ」という考え方は、極論、どんなに民のことを慮った良い主張でも、どんなに自分勝手な言い分であったとしても、捻じ曲げてしまえる力を持っていました。

例えばの話、「奴隷制度はなくすべきだ!」という主張をした政治家がいたとしましょう。

一見すると良い事のように聞こえますけど、それを気に入らない『相対主義』の理論を知っている政治家がいた場合、「そんなことをすれば奴隷たちは路頭に迷って飢え死にしてしまう!」と反論される可能性があります。そうすると、やっぱり良くないことなんじゃないかと周囲の人には思えてきます。

ようするに何が言いたいかというと、『相対主義』の存在は、「奴隷制度はなくすべきだ!」みたいに自己のしっかりとした主張をもった政治家ではなくて、「もっと抜本的な改革を!」のような耳障りの良い事ばかり言うだけの人たちが勝ち上がる社会となってしまったわけです。

そんな中で登場したのが哲学者ソクラテスであり『無知の知』です。

ソクラテスは自らを『大きな馬にまとわりつく虻』と形容したように、先ほどの例えから「もっと抜本的な改革を!」と主張している政治家に対して「じゃあ、その抜本的な改革って何ですか?」と、『相対主義』を駆使する相手にそんな質問をぶつけ続けました。

そうすると何が起きるかというと、当然、最初のうちは質問に答えられたとしても徐々に言葉に詰まり始めるはずです。そして最終的に彼らが何も答えられなくなったところで、ソクラテスは「貴方はそのことを理解していないんですね?」と論破してしまったわけです。

そして人々に対して「ほら、政治家だって口だけでなにも知らない! 私自身も知らない! だからみんなで一緒に考えてみようよ!!」 なんて言葉を民衆に向かって発しました。

ここだけ切り取ると「ソクラテスってめっちゃ嫌な奴じゃん!?」とか「馬鹿じゃねぇの?」と思うかもしれませんけど、ソクラテスがこんなことをしたのには、ちゃんとした理由があります。

それは、ソクラテスが誰よりも『真理』というものを追い求めていたため、それまで主流であった「価値観なんて人それぞれさ」という考え方が許せなかったためです。

もう少し分かりやすく説明すると、まず当たり前の話かもしれませんけど、誰にだって個人によって違う好き嫌いといったものがあると思います。例えば、コンビニに立ち寄って適当なスイーツを買おうと思い立った時、何を基準にして商品を選ぶでしょうか?

普通は、クリームの多いものが好きとか、チョコの入っているものが良いとか、その人自身の好みという『真理』を基準にして選びます。変な話、「価値観なんて人それぞれさ」という考え方ではひとつの商品を選ぶことなんてできません。

つまり、ソクラテスはそうした「価値観なんて人それぞれさ」によって人々が何も知らない、知ろうとしないことを嫌い、『無知の知』という言葉で自分たちが何も知らないということを理解させ、『真理』と呼べる本当のことを追い求めてほしいと願ったのです。

なので、『無知の知』とは「無知を自覚している自分は賢い」などという意味ではなくて「私たちは無知だから、知ることを追い求めていこう!」みたいな意味なんだと思っておきましょう。

さいご

今回は、ソクラテスの「無知の知」について紹介しました。

まとめると、

  • ソクラテスの唱えた『無知の知』というのは「無知の自覚を持った時にこそ、人は真理を知りたいという情熱が出てくる」みたいな意味
  • 「無知を自覚している自分は賢い」などという意味ではなくて、「私たちは無知だから、知ることを追い求めていこう!」ということ

最後までお読み頂きありがとうございました。

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