こんにちは! 物書きの忍者です!
今回は、古代ギリシアの哲学者プラトンさんの作品『饗宴』を紹介します。
みなさんは『愛』について考えたことはありますか?
- そんな難しそうなもの考えたことはない
- 好きな人ができた時に考えた
- テーマが大きすぎて想像できない
などなど、多分したことはないと答える方が多い気がします。正直、愛などと言われてもイメージしにくいと思います。
ただ、愛とはないかについて興味を持っている人は多い筈です。どうすればモテるのか、キレイになれるのかみたいなのも、言ってみれば愛について考えていることに当てはまります。
この作品は対話を通して、その愛の本質的な部分について語っています。もし一度でも愛というものを考えてみようとしたことのある方は、読んでみてほしいです。
これから紹介する話の要点は主に三つです。
- 饗宴とは、酒の席でするオッサンの恋愛話?
- 運命の赤い糸はこの本から生まれた!
- 愛の目標とは何かを生み出すこと
具体的に説明します。
饗宴とは、酒の席でするオッサンの恋愛話?
この物語は、宴会で『愛の神エロースへの賛辞』という飲み会の後の恋愛話を発端にして、それぞれのする愛に関する詩論を、登場人物であるソクラテスが問答して正すという構成になっている。
まずタイトルにある『饗宴』とはどういった意味があるのでしょうか?
ギリシャ語で『シンポシオン』というこの言葉には、『一緒にお酒を飲む』という意味があります。わかりやすく言うと、飲み会ということです。
討論会を指すシンポジウムという言葉の由来にもなっていて、ワインを飲んだりして語り合う場を表していました。
では、飲み会という意味の言葉をタイトルにしたこの作品の内容は、一体どんなものなのでしょうか?
簡単に言ってしまうと、この作品は飲み会の後の『エロースへの賛辞』を通して、対話形式で愛とは何かを語るという内容になっています。
「エロースって何?」と思った方に説明すると、ギリシャ神話に登場する愛の神のことであり、私達の良く知る『キューピッド』のことです。愛という言葉を神格化させた存在とも言えます。
つまりエロースへの賛辞というのは、その人が持っている愛に関する持論、恋バナのようなものだと思ってください。
飲み会の後に愛に関する持論を皆が展開し、最後にソクラテスがその持論一つ一つと問答をして愛とは何なのかを追求していくのがこの作品の内容になっています。
運命の赤い糸はこの本から生まれた!
赤い糸で結ばれた運命の相手がどこかに存在するという考え方は、この作品に書かれている神によって引き裂かれた失われた半身を求めるという話が元となっている。
では、『愛の神エロースへの賛辞』とはどんなものだったのでしょうか?
- 愛の効用は死をも恐れない勇気
- 『世俗的な愛』より『天上的な愛』を尊ぶべき
- 愛は宇宙の調和にも大きな影響を及ぼす
- 人間は自分の失われた半身を探し求める
- エロースとは『美』を求める優美な神
これは『饗宴』の中で五人の登場人物が語ったエロースへの賛辞をまとめたものです。
パッと見た感じで、意味を理解するのは難しいですが、何となく愛に関して良い事を言っているような感じはすると思います。
特に『人間は自分の失われた半身を探し求める』という部分は、頭が二つあり四本の腕と足を持っていた人間が神の怒りに触れて半分に引き裂かれたという神話が語られており、私達もよく知っている運命の赤い糸の『運命の相手が世界のどこかにいる』という考え方の元になったとされています。
そして最も重要なのは、この五人の展開した納得してしまいそうな話に対して、ソクラテスは問答をして全く違う考え方をする所にあります。
つまり、ソクラテスは五人の愛に関する持論は間違っていると言ったわけです。
何というか、飲み会でみんなが良い気持ちで話をしている時に「それ間違ってますよ?」と指摘するような嫌な奴を連想するかもしれません。
しかし、周囲と違う考え方を持っていたからこそソクラテスは最後に五人と問答を繰り返すことで、愛とは何なのかを本当の意味で考えられる場をつくれたとも言えます。
愛の目標とは何かを生み出すこと
物語の中で、エロースとは『知恵を持つ神』と『無知な人間』の間にある存在であり、知恵を愛し求めるものだと語られています。そして、愛の目標とは何かを生み出す行為だとソクラテスは巫女ディオティマの言葉を借りて話します。
そもそも、五人とは違うというソクラテスの考え方はどんなものだったのでしょうか?
彼はまず『エロースとは『美』を求める優美な神』という考え方を否定し、エロースとは神ではないと語ります。
「愛の神って言ってただろ!」と思うかもしれません。ソクラテスによると、神というのは全てを持った存在であり、もしエロースも神であるならば、そもそも求めている『美』を全て備えている筈なので、欲求するというのはおかしいと言います。
仮にエロースは神でないのだとしたら一体何だというのでしょうか?
そこでソクラテスは、巫女ディオティマという女性に、愛について教えを乞うたと話し始めます。
それによると、エロースとは『知恵を持つ神』と『無知なる人間』の間にある存在であり、『知恵を愛し求めるもの』だと語られます。
正直、あまりピンとこないと思います。なので、『知恵を愛し求めるもの』とは何か少し考えてみましょう。
まず『知恵を持つ神』は当てはまりません。なぜなら、彼らは生まれながらに全ての知恵も備えているからで、元から全部持っているわけですから求めることはありません。
では『無知なる人間』はどうでしょうか。彼らはそもそも、『自分達は無知である』という知恵も持っていないので、知恵を欲するということ自体しません。
じゃあ『知恵を愛し求めるもの』とは一体何なのか。その答えはエロースのように神でも人間でもない間にいる存在だというわけです。
そしてこのエロースのあり方こそが人間が本来求めるべきあり方なのだとソクラテスは語っています。
この時、多くの方は「おい、知恵じゃなくて、愛の話はどこにいったんだよ!」と思うかもしれません。
ソクラテスは、巫女ディオティマから愛とは善きものを求めることであり、愛の目標とは美の中で子を生み出すことだと教えられ、『知恵の子』を生み出すことは、肉体の出産よりも素晴らしいことなのだと語ります。
「知恵の子って何?」と思った方に説明すると、本や医術、建造物のように私達の知恵から生み出されたものを表しています。この知恵の子は不死の存在であり、神に近いものなのだと巫女ディオティマは言います。
愛とは善きものを求め、不死の存在に近づくために何かを生み出す行為なわけです。
さいご
今回は、古代ギリシアの哲学者プラトンさんの作品『饗宴』を紹介しました。
要点をまとめると、
- 饗宴とは、酒の席でするオッサンの恋愛話?
- 運命の赤い糸はこの本から生まれた!
- 愛の目標とは何かを生み出すこと
哲学というのは敷居が高く、敬遠されがちなイメージですが、プラトンさんの作品の多くは対話形式になっているので比較的読みやすくなっています。興味のある方は読んでみてください。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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