こんにちは! 物書きの忍者です!
今回は、ドイツの哲学者カントの『批判哲学』について考えみます。
ところで、みなさんは『カント』という哲学者について知っていますか?
おそらく、名前くらいは聞いたことがあっても、殆ど知らないという方が大半だと思います。『批判哲学』という言葉を見ても意味不明だと感じる筈です。正直、自分がそうでした(汗)
批判哲学というのを簡単に説明すると、前に紹介した『懐疑論』のような考え方に疑問を投じる哲学です。
ここで「何言ってんだお前?」と思った方は、これから『懐疑論』の説明も踏まえて紹介しますので、読んでみてください。
経験の受け取り方は共通?
カントの『批判哲学』についてもう少しわかりやすい言い方をすると『人間が経験によって得られる認識には、共通するものも存在する』という考え方です。
たぶん、これだけだとよくわからないと思います。なので、少し復習をさせてください。
以前、ヒュームの『懐疑論』について説明しました。簡単にまとめると『私達の持つ全ての概念や認識は経験を由来にしているので、その経験と現実が一致している保証はどこにもない』という疑いを全てに向けるという考え方でした。
その結果、ヒュームは『神』や『科学』というものにまで懐疑の視線を向けたわけです。ところで、ここで疑問に思った方もいるかもしれませんが、結局のところ、この『懐疑論』の結論って何でしょう?
ぶっちゃけると「何もかも信用できない!」と言ってるだけで、答えが無いような気もします。しかし、少し考えてみましょう。
懐疑論を要約すると「人それぞれ経験しているものが違うんだから、経験を基にしている認識が一致するわけ無いじゃん」みたいな考えなのですが、だとすると数学のようなある程度共通した答えを出している学問みたいなのを私達が認識しているのはどうしてでしょうか?
そんな疑問を持ち、『人間が経験によって得られる認識には、共通するものも存在する』と考えたのがドイツの哲学者カントで『批判哲学』というものです。
時間と空間を共有している
カントは『批判哲学』によって、私達の経験の中には共通しているものがあると考えました。
では、その『共通しているもの』とは何でしょうか?
カントによると、それは『時間』と『空間』のことで、私達が何かを見る時には必ず『時間的』あるいは『空間的』に同じものを見ているそうです。
「は?」と思った方のためにもう少しわかりやすく言うと、例えば、同じ場所に集まり『デッサンの授業』で『テーブルの上に乗ったリンゴ』を見ているとします。
その際、その『リンゴ』というのは『空間的』には机の上に存在し、『時間的』には学校の授業中、私達の目の前にあるわけです。このように私達は何かを見ようとしたときに必ず『どこかの時間の、どこかの空間にあるもの』と認識しています。
この『リンゴ』が『どの時間や空間にも存在しない』なんてことになれば見ることはできません。
すなわち、これは人種の違う人であったとしても、先程例えたような状況になれば、必ず同じ『時間』と『空間』を認識をすることになるということです。
経験において、私達は『時間』と『空間』を同じように認識します。だからこそ、カントは他にも共有できる認識が存在し、そのおかげで私達は学問のように共通した認識を持つことが出来るのだと考えました。
さいご
今回は、ドイツの哲学者カントの『批判哲学』について考えてみました。
要点をまとめると、
- 『批判哲学』とは人間が経験によって得られる認識には、共通するものも存在するという考え方
- 『共通するもの』とは、カントによると『時間』と『空間』のこと
最後までお読み頂きありがとうございました。
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