こんにちは! 物書きの忍者です!
今回は、ドイツの哲学者カントの『批判哲学』について紹介します。
みなさんは、カントの残した哲学者としての偉業をご存じですか?
カントと聞いて「それ、この前やっただろ!」とツッコミたくなった方もいるかもしれません。確かに、『批判哲学』とは『人間が経験によって得られる認識には、共通するものも存在する』という考え方だと前に説明しました。
ただ、これだと例えば「何で『批判哲学』なんて呼び方するんだよ?」と聞かれた時に、ちょっと回答に困ると思います。
実は、カントは当時の哲学者たちにとって時代の転換ともいえる、哲学においてスゴイ事をしています。そこから『コペルニクス的転回』なんて言葉が生まれたほどです。
ここでは、なぜ『批判哲学』という呼ばれ方をするのか簡単な説明と、カントの哲学者として行ったスゴイ事について紹介します。
人知を超えた真理に意味はない?
結論から言うと、カントのした偉業とは『人知を超えた真理に意味はない』と唱えたことです。
もっとわかりやすく言うと、これまで当時の哲学者たちが追い求めていた『真理』に対して「俺ら人間にとっては、人間以外の考え方とか追及しても意味ないんじゃね?」みたいなことを言い始めたわけです。
正直「何言ってんだお前?」と感じた方は結構いると思います。なので、ちょっとだけ話を変えさせてください(汗)
そもそも『批判哲学』というのは、簡単に説明するとカントのいた時代の哲学者たちの間で議論されていた『懐疑論』などの哲学を批判することから呼び名のついた考え方のことでした。
例えば『懐疑論』だと『経験は人それぞれ違うからといって、そこから発生する認識もそうとは限らない』みたいな批判を持ったわけです。
そうして当時の哲学に疑問を持った結果、カントは学問のように『人間が経験によって得られる認識には、共通するものも存在する』という考え方をみつけます。
ところで質問なんですが、この『共通するもの』っていうのは人間以外にも適用されるのでしょうか?
犬や猫はもちろん、突飛な発想だと魚や虫とかも、いずれは数学みたいな学問を確立して人間みたいな国とか作れるのでしょうか?
こんな言い方をすると荒唐無稽なファンタジーの話に聞こえるかもしれません。カントは今までの哲学の追及していた『真理』というのを、まさにそんな私達にとって意味のない話で、これからは『人間にとっての真理』を目指す必要があるのではないかと考えました。
生物によって生きている世界が違う
カントは、私達人間は『人間にとっての真理』しか追究することはできないと語っています。
「その『人間にとっての真理』ってなんだよ?」と疑問に思うかもしれません。そこで、少し考えてみましょう。
例えば、私達の目の前に突然宇宙人が現れたとします。その宇宙人は、私達に対して「俺達の存在している宇宙は、実は『‘gs@tj0v』で出来ている」と話してくれたとします。その時、どう思いますか?
砕けた言い方をすると「まず、わかる言葉で説明しろ!?」と思うはずです。このように、その宇宙人にとっては常識とされることでも、私達はその言葉を理解することさえできないという現象はどうして起きるのでしょうか?
それは、生きている世界がそもそも違うために起きています。つまり、その宇宙人にとってあたり前の考え方を、私達はその生活や行動などの根本的な違いから理解することができないわけです。
これは宇宙人に限った話ではなく、私達は自分の尺度で見た人間の世界で生きているので、それ以外の生物の世界を本当に理解することはできないし、そもそもその世界の常識を適用できるかもわからないのだから追及する必要もないのではないかとカントは考えました。
すなわち、その『生物の世界』ごとに真理は存在し、私達は『人間の世界』の真理を理解することしかそもそもできないと考えたわけです。
これは、生物の根源ともいえるすべてに適用される『人知を超えた真理』を求めていた哲学者たちにとって、まったく次元の違う発想です。言ってみれば「人間の理解を超えてたら、役に立つかどうかわかんないだろ?」と唱えたわけですから。
これは『地球は宇宙の中心』という考え方から「それ、違うんじゃね?」といった批判をして見方を180度変えるようなものです。このような大転換から『コペルニクス的転回』とも呼ばれています。
こうして、カントの『批判哲学』をきっかけにして、後の哲学者たちは『人知を超えた真理』ではなく、『人間にとっての真理』を考えるようになりました。
さいご
今回は、ドイツの哲学者カントの『批判哲学』について紹介しました。
まとめると、
- そもそも『人知を超えた真理』を私達は理解できないので意味はない
- 『真理』とは、その生物の生きている世界ごとに存在している
偶に「他人を批判するな!」みたいなことを言う人がいます。たしかに、漠然とした誹謗中傷は良くないです。
ただ、この『批判哲学』のように批判から生まれるものもあります。疑問を持たなければ生まれないものもあるのだと、覚えておいてもらえると嬉しいです。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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