悪い事をしてはいけない理由【道具主義の考え方とは?】

哲学

こんにちは! 物書きの忍者です!

今回は、悪い事をしてはいけない理由について考えてみます。

みなさんは、悪い事をしてはいけないと誰かに教わりませんでしたか?

  • 窃盗
  • 恐喝
  • 殺人

学校、もしくは親などから小さい頃に教えられたという方がほとんどだと思います。それほどまでに、悪い事をしてはいけないというのは、私達にとって当たり前の認識です。

しかし、そもそもなぜ悪い事をしてはいけないのでしょうか?

正直な話、その理由に関して明確な回答のできる方は少ない筈です。

ここでは、なぜ悪い事をしてはいけないのか、その理由について前回の『道具主義』という考え方を基にして考えてみたいと思います。

悪い事をしてはいけない理由

結論から言いますと、悪い事をしてはいけない理由とは『自分が被害者にならないようにする』ためです。

ようするに、悪い事をされる側にならないよう身を守るために「悪い事をしてはいけないよ?」と幼いうちから周囲に教え込んでいるわけです。

こんな言い方をすると、なんとも身も蓋もない話に聞こえます。

正直、人の善意悪意に関する問題はホント大昔から取り上げられており、いまだに明確な答えは出ていません。そこで、今回は『道具主義』の観点から説明します。

そもそも『道具主義』は極端な言い方をすると『私達にとって役に立つこと』を中心にした考え方でした。なので、物事の本質をみようとするのではなく「それって生活の役に立つの?」という視点から考えます。

もう少しわかりやすく言うと、例えば「泥棒をしてはいけない!」と誰かが言ったとしましょう。本来なら「何で泥棒をしてはダメなの?」という問いから答えを出そうとします。しかし、そんな漠然とした問題から答えを出すのはかなり難しいと思いませんか?

そこで「泥棒をしないことは、なんの役に立つの?」と少し定義する問題を変えてみます。

ちょっと何を言っているのかわからないと感じた方もいるかもしれません。もう少しだけ問題を変えると「もしも泥棒をしてもよくなったら、どうなるのか?」を考えることになります。

想像してみてください。泥棒をしても罪に問われない社会になれば、パニックが起きて私達の生活は間違いなく破綻するはずです。

つまりはこれと同じで、悪い事をしてはいけないというルールは、私達の生活を成り立たせるために役に立つ考えとして成立しているわけです。

役に立つ考え方こそ真理?

『道具主義』の考え方に関して、不満を持った方もいるかもしれません。なにせ「悪い事をしてはいけない理由とは『自分が被害者にならないようにする』ためだ!」という答えを導き出してるわけですから、いまいち納得のいかない部分があるのはわかります。

ここで重要なのは『道具主義』という考え方は、これまでの哲学で求められてきた真理ではなくて、私達の生活の役に立つかどうかを重視しているという点です。

例えばの話、悪い事をしてはいけない理由として「私達の本質は悪であり、それを呼び起こさないためだ!」みたいなことを提唱する人物が現れたとします。仮にそれが真実だったとして、素直に受け止められますか?

私の個人的な意見としては、何となくイヤです。たぶん理由はどうあれ、現実から目を背けようとすると思います。

分かりにくいかもしれませんけど、このように『認めたくない真実』というものは存在するはずです。というか、真実が私達にとって害悪になってしまう事だってあると思います。

ようするに『道具主義』とは「害悪になる真実なら、求める必要なくね?」みたいなことを基にしていると考えてみてください。

「悪い事をしてはいけない理由とは『自分が被害者にならないようにする』ためだ!」という答えを耳にしたとして、傷つく人はいるのでしょうか?

いないと断言することは難しいですけど、「私達人間の本質は悪だ!」と断言されるよりはダメージは少ない筈です。

つまり『道具主義』というのは、たとえ真実からは程遠いものだったとしても、私達にとって役に立つものなら真理としてとらえることも可能な柔軟性を持った考え方なわけです。

さいご

今回は、悪い事をしてはいけない理由について考えてみました。

まとめると、

  • 悪い事をしてはいけない理由とは『自分が被害者にならないようにする』ため
  • その理由は、悪い事をしてはいけないというルールは、私達の生活を成り立たせるために役に立つ考えとして成立しているから

最後までお読み頂きありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました