こんにちは! 物書きの忍者です!
今回は、哲学者ジャック・デリダの『音声中心主義』について紹介します。
みなさんは、『音声中心主義』という言葉を聞いた事はありますか?
「何それ?」と首を傾げたくなった方がほとんどだと思います。
ここでは、哲学者デリダの唱えた『音声中心主義』について紹介していきます。
音声中心主義とは?
先に結論から述べますと、音声中心主義とはそれまでの文明に対して『話し手を大事にし過ぎる文化』だと批判を表した考え方です。
どういうことかと言うと、伝言ゲームをしている光景を想像してみてください。
まず、伝える側は伝えたいメッセージを頭の中である程度イメージしてから相手に話し始めます。
そして、そのメッセージを受け取る側は、聞いた話の内容からイメージして次の人に伝えます。
ここで質問です。最初に伝言を伝えた人のイメージと、その伝言を受け取った人のイメージというのは同じでしょうか?
実際に伝言ゲームをしたことのある方は分かると思いますけど、最初の伝言と、最終的に伝わった伝言は全く違う内容になることがほとんどです。ようするに、伝えた側と受け取った側では、頭の中に浮かんだイメージが全然違うという事です。
これと同じ現象が普段のちょっとした会話なんかでも起こっていると考えた哲学者デリダは、これまでを『話し手を大事にし過ぎる文化』で、嫌な言い方になりますけど、今まで多くの哲学者が唱えてきた主張も本質はうまく伝わっておらず主張した側の独善的な考えになっていないかと提唱したわけです。
考えを汲み取って論争することは間違い?
伝える側と受け取る側で、イメージする解釈が変わってしまうことがあるのは分かりました。
しかし「だったら、その解釈で合っているか本人に確認すればいいだけじゃないの?」と思われた方もいるかもしれません。確かに、伝言ゲームでも最終的に出題者と答え合わせをすれば、個人が一喜一憂するだけで話は終わります。
そこで少しだけ話は変わりますけど、天才的な頭脳を持った学者の書いた難解な本を想像してみてください。
仮に、その本を読んだとして「これはこういう意味か!」と考えたとします。その考えは本を書いた学者の考えと一致しているのでしょうか? もしそうだったとしても、それをどうやって確認しますか?
もちろん、本人に直接聞くくらいしか方法はありません。しかし、その本というのが大昔に書かれた物で、著者がとっくの昔に死んでいた場合はどうでしょう。だとすれば、その考えが正しいものなのか確認する確実な方法はありません。
つまり、私達にとって常識だと思っているような『解釈』であったとしても、それが主張した人物の考えと確実に一致している保証はないわけです。
にもかかわらず、過去の偉人の残した言葉を取り上げて「彼はこう言いたかったんだ!」とか「いや、その考えは間違っている!」みたいな論争をすることは間違っているのではないかと哲学者デリダは考えたのです。
最後にこんなことを言うと完全にブーメランみたいなんですけど、そうした『話し手を大事にし過ぎる文化』に対しての批判を『音声中心主義』としてデリダは提唱したわけです。
さいご
今回は、哲学者ジャック・デリダの『音声中心主義』について紹介しました。
まとめると、
- 音声中心主義とはそれまでの文明に対して『話し手を大事にし過ぎる文化』だと批判を表した考え方
- その理由は、『伝えた側』と『受け取った側』では、頭の中に浮かんだイメージが全然違い、結果的に『主張した側の独善的な考え』にならないかと思ったため
最後までお読み頂きありがとうございました。
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