こんにちは! 物書きの忍者です!
今回は、哲学者ジャック・デリダの『ポスト構造主義』について紹介します。
みなさんは、『脱構築』という言葉を聞いた事はありますか?
おそらく、聞いた事のない方がほとんどだと思います。物凄くざっくりとした言い方をしますと「受け取る解釈なんて人によって違うよね?」みたいなことを中心にした考え方の事です。
これは『ポスト構造主義』から生まれた考え方なんですけど「今度は何だ?」とか「さらっと新しい単語を出すんじゃない!」などと言いたくなったかもしれません。どうか、そこは堪えてください(汗)
ここでは、哲学者ジャック・デリダの唱えた『脱構築』や、そのきっかけとなった『ポスト構造主義』という考え方について紹介していきます。
ポスト構造主義とは?
先に結論から言いますと『ポスト構造主義』とは、これまで主流だった構造主義という考え方を批判して、そこから抜け出そうとした哲学です。
ちょっと分かりにくいかもしれないので、すこし話を変えさせてください。ポストモダンという言葉を聞いた事はありませんか?
ポストモダンという言葉を耳にしたことのある方は意外と多い筈です。これは、それまで主流であった近代主義ともいえる芸術に関する考え方から脱却しようとした思想運動の事です。
ようするに、この運動と同じでそれまで主流とされた哲学的な考え方から脱却しようとしたのが『ポスト構造主義』なわけです。
ここで気になるのは、そもそもの話、なぜ『ポスト構造主義』なんて考え方が生まれたのでしょうか?
その理由は、今でも根強く浸透している『構造主義』という考え方にある。構造主義について簡単に説明すると、人間というのはその周囲の環境や社会的規則みたいなものに支配されているという考え方の事です。
つまり、『構造主義』という考え方において極端な話、私達は『社会構造に支配され、自由に物事を判断しているわけではない』わけです。そうした結論から脱却するために『ポスト構造主義』という考えは生まれました。
聞き手側を中心にした考え方?
前回、哲学者ジャック・デリダの『音声中心主義』について説明しました。考えを伝える側と受け取る側では、頭の中でイメージする解釈が違ってしまうことを表した言葉です。
その説明をされた時に思ったかもしれないんですけど「批判ばっかしてるけど、ようするに俺らはどうすればいいわけ?」と疑問に感じた筈です。
ここで登場するのが『脱構築』で、ざっくりとした説明をしますと、『考えを伝え、話す側』ではなくて『考えを受け取り、聞く側』を中心にして解釈していこうという考え方の事です。
もう少しわかりやすく言うと、例えば私達の目の前に難しい事の書かれた本があったとしましょう。
前に『音声中心主義』で説明したように、当たり前かもしれませんが、その難しい本を読んで私達の得た解釈と、その本を書いた著者の伝えようとした解釈は必ずしも一致しているとは限りません。
そこで「別に著者の考えを完璧に汲み取る必要はないんじゃないの?」と主張しているのが『脱構築』で、ようするに『受け取った解釈を基にして、個別に考えを再構築する』ことを提唱しているわけです。
デリダは、先人の残したものを中心に汲み取った不確かな解釈から『たった一つの真理』を求める方法を否定して、各々が受け取った解釈を再構築することで『それぞれの真理』を求めていく方が良いのではないかと唱えました。
今迄の伝える側を中心にした哲学から、受け取る側を中心にした哲学に変えようとしたのが『脱構築』だと思っておきましょう。
さいご
今回は、哲学者ジャック・デリダの『ポスト構造主義』について紹介しました。
まとめると、
- 『ポスト構造主義』とは、これまで主流だった構造主義という考え方を批判してそこから抜け出そうとした哲学
- 構造主義による『社会構造に支配され、自由に物事を判断しているわけではない』という結論から脱却するために『ポスト構造主義』という考えは生まれた
最後までお読み頂きありがとうございました。
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