日本人が陥りがちな努力に対する間違った認識【目的に沿った努力をすべき?】

雑談

こんにちは! 物書きの忍者です!

今回は、日本人が陥りがちな努力に対する間違った認識について考えてみたいと思います。

みなさんは、『努力』という言葉に対してどんな印象を持っていますか?

悪い印象を持っている方というのは殆どいない筈です。勉強やスポーツなど、誰だって努力している人物に対しては好意的な印象を持っていると思います。

ここでは、私たちにとって身近な行為に関して、日本人が陥りがちな努力に対する間違った認識について考えてみたいと思います。

日本人が陥りがちな努力に対する間違った認識

先に結論から言いますと、日本人が陥りがちな努力に対する間違った認識とは『ただ努力することが美徳』という考え方のことです。

もう少し具体的に言うと、日本人が陥りがちな努力に対する間違った認識とは、なにかに継続して打ち込み続けることを美徳とした考え方のことで、その努力を始める目的、ダイエットなら痩せたい、スポーツなら試合での成績を上げたいなど、本来ある筈の望みが伴わなくても良いという考えを持ってしまいがちなのです。

そもそもの話ですけど、私たち日本人というのは『努力』という言葉に対して、異常ともとれるくらいに良い印象を持ってしまいがちです。

こんな言い方をしてしまうと「じゃあ『努力』することは悪いの?」と思われる方もいるかもしれませんが、そういうわけではありません。もちろん、目的に向かって『努力』するというのは素晴らしい事だと思います。ただ、ここで重要なのは、この『努力』という行為すべてが意味のある物であるのかという問題です。

当たり前の話ですけど、『努力』をしたからと言って、それがすべて良い結果につながるというわけではありません。

例えばの話ですけど、ある時から痩せようとしてダイエットを決意した人がいたとしましょう。それだけ聞くと良い話ですけど、その人物というのが、月に一度の運動だけでダイエットしようとしていると知ったらどう思いますか?

正直、あまり良い印象は持てない筈です。確かに運動することは良い事ですし、ダイエットを目的にするのも良いのですが、その方法がしっかりしていないと絶対に目的を達成することができません。

ようするに何が言いたいかというと、私たち日本人というのは、この例えのように目的を事前に設定しているにも関わらず、その目的が達成されなかった場合でもそれに向けた『努力』に対して良い印象を持ってしまっているのです。

嫌な言い方になるかもしれませんけど、ダイエットを決意して運動を始めたのに、まったく痩せられていないならその『努力』には意味がありません。こうした「意味のない努力」を美徳として捉えるのは間違っています。

もしも、少しでも目的に対して結果を求めているのなら、まず自分が『ただ努力することが美徳』という考え方に陥っていないか注意し、どうやったら目的を達成できるのか試行錯誤する癖をつけるようにしましょう。

さいご

今回は、日本人が陥りがちな努力に対する間違った認識について考えてみました。

まとめると

  • 日本人が陥りがちな努力に対する間違った認識とは『ただ努力することが美徳』という考え方
  • 日本人が陥りがちな努力に対する間違った認識とは、なにかに継続して打ち込み続けることを美徳とした考え方のことで、その努力を始める目的、ダイエットなら痩せたい、スポーツなら試合での成績を上げたいなど、本来ある筈の望みが伴わなくても良いという考えを持ってしまいがち

最後までお読み頂きありがとうございました。

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