こんにちは! 物書きの忍者です!
今回は、人生における学校教育の意味について考えてみたいと思います。
みなさんは、「学校に行く意味はあるのか?」と考えたことはありませんか?
はっきり言って勉強というのは大半の人にとって面倒な行為であり、その面倒を強要してくる空間にわざわざ通う必要性はあるのかと、今までに疑問を持ったことのある人は意外に多いと思います。
ここでは、実際のところ学校に通うことに必要性はあるのか、人生における学校教育の意味について考えてみたいと思います。
人生における学校教育の意味
先に結論から言いますと、人生における学校教育の意味はあります。
もう少し具体的に言うと、人生における学校教育の意味はあって、認知機能を高めるなど脳の機能を向上させるためには短期的なトレーニングでは効果は薄く、どうしても学校教育のように長期的なトレーニングをする方が脳の機能を向上させられるのです。
前提としまして、当たり前の話かもしれませんけど、私たちが勉強をするのは極端な言い方をしてしまうと「自分の頭を良くするため」です。
今まで知らなかった知識を獲得するという目的から、グラフや空間を読み解くための「数学力」、文章を読んで内容を理解するために必要な「読解力」など、私たちが生きていく中であった方が人生を豊かにしてくれる能力を鍛えるための行為のひとつが『勉強』になります。
それを踏まえたうえで、少しだけ考えてみてほしいのですが、私たちが求めているレベルにまで「自分の頭を良くするため」には、具体的にどれくらいの期間『勉強』をしなければいけないと思いますか?
ぶっちゃけた話、一日や二日ちょっと頑張ったくらいで満足できる結果を得られるとは、誰も都合よくは思っていない筈です。
実際問題として、私たちが思うぐらいの結果を得るためにいは、短期的な『勉強』ではあまり意味はなく、満足のいくレベルに行くためには絶対に長期的な『勉強』をする必要が出てきます。
そこで改めて考えてみてほしいのですが、正直な話、私自身も「そんな長い時間も勉強なんてしなくない~」と考えてしまう程度に、私たちは基本的に面倒くさがりになりがちです。思った通りに努力できる人は少数派で、自分だけだと怠けてしまうという人の方が多いと思います。
ようするに何が言いたいかというと、私たちは「学校に意味ってあるの?」と疑問に思ってしまうことも多々ありますけど、実際のところ学校教育には意味はあって、そのひとつとして『勉強』という大事な行為においては、一人だと怠けて効果のほぼない短期トレーニングになりがちなところを、なんとか効果のある長期トレーニングにしてくれる場でもあるわけです。
さいご
今回は、人生における学校教育の意味について考えてみたいと思いました。
まとめると、
- 人生における学校教育の意味はあります
- 人生における学校教育の意味はあって、認知機能を高めるなど脳の機能を向上させるためには短期的なトレーニングでは効果は薄く、どうしても学校教育のように長期的なトレーニングをする方が脳の機能を向上させられる
最後までお読み頂きありがとうございました。
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