本物の悪意は無自覚【批判が自身を苦しめる三つの理由】

知識

こんにちは! 物書きの忍者です!

今回は、他者を批判することは自身を苦しめることになる理由を紹介します。

みなさんは、誰かを批判したことはありますか?

  • 口だけの無能な上司に、影で文句を言っている
  • サボり癖のある仲間に辟易している
  • 周囲にバカしかいないんだから、怒らないわけがない

理不尽なことの蔓延る現代社会で生きてきて、怒ったことのない人はいないと思います。もしいるとすれば、その人はかなり恵まれています。

理不尽な目にあって怒りをため込んでいる人の中には自己啓発本を手に取り『他者を非難することは無意味』などという言葉を見て、余計に腹の立った人もいると思います。というか、これに関しては私の実体験です(汗)

批判というのは良くないことであるとみなさんも認識はしていると思います。しかし、認識しているのと実際に行動することは意味が全く違い、かなり難しいことです。怒りたくなる場面というのは本当に無数に存在しますから、批判しないというのは途轍もなく難しいことだと思います。

そこで、ここでは他者を批判することはデメリットしかないと理解し、人間なら誰しも持っている損得勘定を利用して、批判する心を緩和したいと考えています。

これから紹介する、他者を批判することが自身を苦しめる理由は主に三つです。

  • 本物の悪意は無自覚
  • 言った分だけ、自分が余計にみじめになる
  • 批判は、敵を作ることにしかならない

具体的に説明します。

本物の悪意は無自覚

あの有名なギャング『アル・カポネ』を含め、本物の悪党には、悪いことをしているという自覚はありません。批判して傷つくのは、気の弱い善人だけで、やっていることは彼らと同類になります。

よく怒鳴り散らしている上司というのは誰しも聞いたことがあるでしょうし、実際に職場で見かける方も少なくないと思います。素朴な疑問として、彼らに、自覚はあるのでしょうか?

耳の痛い話になりますが、悪意と取られることの多くは、悪いという自覚を持たずに実行されています。

そんなわけ無いだろ!」と思われるかもしれません。みなさんも聞いたことぐらいはあるアメリカのギャング『アル・カポネ』は「自分は世のため人のために尽くしてきた」と語っています。

アル・カポネとは、『ゴッドファーザー』という映画のモデルにもなった残虐な悪党で、酒の密造や麻薬、更には機関銃による大量虐殺まで人の想像できる悪いことのほとんどを実行してきた人物です。

そんな人物でさえ、自分は世のために尽くしてきたと言うのです。こんな話を聞くと、本物の悪意に自覚はないのかもと思えてきます。自覚のない相手に、何を言っても意味はないです。なぜなら、本人は良いことをしているとさえ思っているのですから。

そんな歴史上の人物と自分は関係ないだろ!」と考えた方に質問です。本当にそう思いますか? 

何度も言うように悪意というものには自覚がありません。もし実行していたとしても私達は気付かないのです。

Twitterやコメント欄での炎上、批判といった言葉はよく耳にしますし、関わったことがあるかもしれません。その相手がどうなったのか、確認したことはありますか?

批判する内容はともかく、世のために尽くしていると思っている相手を非難しても効果はないです。傷つくのは気の弱い人だけです。

本物の悪意に自覚はありません。自分もアル・カポネのようなことをしていないか、見直してみませんか?

言った分だけ、自分が余計に惨めになる

悪口や批判は、言われた相手より、以外と言った本人の方がダメージを受けます。自覚した頃には手遅れになりますから、やめておきましょう。

悪口を言っていると気分が良くなると考える方もいます。確かに、ストレス発散として、声に出すことはいいのかもしれません。

ただ、個人的にあまりオススメはできない方法です。なぜなら、悪口や批判でストレスを発散する行為は、その人を根暗で陰険な性格にするからです。

もっとわかりやすい言い方をすると、私みたいになります(汗)

別に自分のことを嫌っているわけではありません。ただ、自分の性格は相当悪いと思っていますし、過去にした悪口に対する後悔だけは今もはっきり覚えています。これをみなさんに体験してほしくはないです。

なぜ他者を批判すると自分が根暗になるのかと言うと、その批判を一番見て、聞いて、体感するのは言われた相手ではなく、言った本人だからです。

一つ例を挙げると、私が小学生の時に、弁当のおかずを分けてくれた子がいました。その弁当のおかずが不味かったと私はクラスメイトに吹聴したことがあるのです。今思い出しても、最低な思い出です。

その時の周りの反応は顕著でした。暫くの間、私はそのクラスで孤立したのです。元々コミュニケーション能力が低かったのも理由にあると思います。しかし、それだけ人間というのは悪意に対して敏感に反応するとこの時に初めて体感しました。

誰だって不快になる言葉を耳にしたくはない筈です。批判や悪口というのは、言った時点で、自分の身に降りかかってきますし、その不快になると言葉を一番聞くのは言った本人なのです。

ですので、やめておいた方が自分を楽にしてくれると思います。

批判は、敵を作ることにしかならない

その批判がどんなに正しいものでも、まず効果はありませんし、絶対に敵をつくります。やり方を見直しましょう。

アニメやマンガにある修行で、理不尽な発言を弟子に浴びせるシーンを見たことがあると思います。あれは本当に効果があるのでしょうか?

現実にも、職場などでちゃんとした理由もなく怒鳴ってくる上司というのはいます。彼らの言い分の多くは「新人の教育」だと思います。

大前提として、言われた相手はどう認識しているのでしょうか? その答えは、ブラック企業などという言葉が出ているように明らかです。教育の為と思っているわけがありません。

相手の立場になって考えていない発言は、効果を発揮するわけないですし、ほぼ理解などできません。ただ、その発言に反発する敵をつくるだけです。

中にはちゃんとした理由を持って批判している場合もあるかもしれません、しかし、自分が批判されると想像してみてください。内容など関係なく嫌な気持ちになりませんか?

ですので、むやみに他者を批判することは敵をつくり、しんどい状況にしてしまうので注意しましょう。

さいご

今回は、他者を批判することは自身を苦しめることになる理由を紹介しました。

まとめると、

  • 本物の悪意は無自覚
  • 言った分だけ、自分が余計にみじめになる
  • 批判は、敵を作ることにしかならない

最後に間違えないでほしいのは、批判しないというのは自己主張をしないということではありません。

相手の発言の中には事実として間違っていることも多いです。それを鵜呑みにして注意しないことは良くないと思います。

大事なのは、常識だとか普通といった言葉で誰かを利用するのではなく、自分の言葉で考えを述べてほしいのです。つまり、「あなたはこう考えているみたいだけど、私はこう思うんだ」というように自己主張をしてほしいのです。

こんなことを言ってウザいと思われるかもしれません。しかし、批判ではなく個人の意見を言うのはとても大切です。もし何かを言いたくなった時は、誰かに流されるのではなく、それは自分だけの意見だと自覚しておいてください。

終わりに面倒臭いことを言って申し訳ありません。ただ、私個人の意見として、批判ではなく自己主張をすることは大切だと心から思っているので、書きました。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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