ヒュームの「イギリス経験論」

哲学

こんにちは! 物書きの忍者です!

今回は、ヒュームの「イギリス経験論」について紹介します。

みなさんは、ヒュームという名前を聞いたことはありますか?

正直、見聞きした覚えのない人の方が多いかもしれません。有名な哲学者なのですが、ソクラテスやデカルトと違い、馴染みのない人の方が多いと思います。

ここでは、哲学者ヒュームが中心となり、完成させたとされる「イギリス経験論」について紹介していきます。

ヒュームの「イギリス経験論」

まず、哲学者ヒュームについて簡単に説明しますと、彼は1711~1776年にかけてイギリスで活躍した哲学者で、ヒュームの最も大きな貢献は、その時代において栄えていた哲学 『イギリス経験論』というものを完成に導いたところにあります。

「『イギリス経験論』ってなに?」という質問にものすごく簡単に答えると、17世紀から18世紀のイギリスで栄えた哲学で、「人間の中に浮かぶ知識や観念は、すべて経験によって形作られたものにすぎない」みたいな考え方のことです。

正直、この説明だけだと分かりにくいかもしれません。

『イギリス経験論』について理解するためには、そもそも何故そんな哲学が流行りだしたのか、その理由から説明する必要があります。

時間は少しさかのぼり、デカルトが「我思う、ゆえに我あり」という言葉を残したところにまで戻ります。哲学者デカルトの活躍によって、哲学の世界では『真理』に近づくためのカギともいえる公理、「『疑っている私』の存在は疑いようがない」ということを見つけることができました。

しかし、当たり前の話ですけど、それだけで終わるわけにはいきません。デカルトは発見した公理を基にして、そこから自らの哲学を進めるわけなんですけど、その後の彼の行動が問題でした。

少し嫌な言い方になるかもしれませんけど、デカルトは「『疑っている私』の存在は疑いようがない」という考えを基にした結果、極論、「疑いようのない私が認識していることなんだから、そのすべては存在してんじゃね?」みたいな考え方に行きつきます。

ようするに、『疑っている私』という存在は確実なわけだから、存在している『私』の認識したこと、理解したことというのもまた、すべて確実に存在しているのではないかと考えたわけです。

当然の反応とも言えるかもしれませんが、そんな彼の発言に対して、世の哲学者たちは猛反発を起こします。「我思う、ゆえに我あり」という素晴らしい考え方から、どうしてそんな短絡的な方向に行きつくのかと、各々がデカルトの答えを批判するように団結し、哲学の世界を進め始めます。

そんな中で生み出された哲学のひとつが『イギリス経験論』というものです。

まずイギリスの哲学者たちが注目したのは、そもそも「我思う、ゆえに我あり」における『我』とは一体なにを指してるいるのかということでした。

変な話、私たちは自分自身のことをどうやって認識しているでしょうか?

改めて考えてみると首を傾げてしまう問題かもしれません。そんな問題に対して、哲学者ヒュームは「『我』とは経験によって生み出されるもの」といった答えを出します。

どういうことかと言いますと、私たちが自分自身を認識するためには、例えば、家族や友人から名前を呼ばれるとか、自らが書類などに記入をするだとか、そういった『経験』の積み重ねが『我』というものを形成しているのだと考えたわけです。

ヒュームの凄いところは、この『イギリス経験論』による考え方をすべての物事、『我』だけでなくて、『神』とか『科学』といったものにまで当てたことです。

なにせ、人間というのは自分が正しいと思っていたことを否定することが難しい生き物なのに、ほんの少し前まで「真理を知りたければ神に祈りなさい」みたいな考えが正しいとされていた中で、いきなり「その『神』も私たちの経験によって生み出されたものだ!?」とか言い出したわけですから、それだけでもかなり勇気のいる行動です。

しかも、ちょっと現代人でも受け入れにくい「『科学』も私たちの経験によって生み出されたものだ!?」とも言っています。

これに関して少し説明すると、例えばの話、「火は熱い」という『科学』において正しい考えがあったとします。

しかし、その「火は熱い」というのは私たち自身が火に近づいたときに火傷するなどといった経験を積んだためであって、もしかすると火の周りに集まる習性がある『物質A』が熱を発しているだけで、火そのものが熱いわけではない可能性もあったりします。

そうしてヒュームは『懐疑論』とでもいえる哲学によって、『我』とか『神』とか『科学』とか、絶対なものをすべて「経験によって生み出されたもの」として否定し尽くし、見事にすべて更地にしてしまいました(汗)

さいご

今回は、ヒュームの「イギリス経験論」について紹介しました。

まとめると、

  • 『イギリス経験論』とは、「人間の中に浮かぶ知識や観念は、すべて経験によって形作られたものにすぎない」みたいな考え方のこと
  • 哲学者ヒュームは『我思う、ゆえに我あり』という哲学の中から、「『我』とは経験によって生み出されるもの」といった答えを出した

最後までお読み頂きありがとうございました。

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