こんにちは! 物書きの忍者です!
今回は、可能性という言葉に潜んでいるリスクについて考えてみたいと思います。
みなさんは、「頑張れば人は何にでもなれる!」といった発言を聞いた事はありませんか?
自己啓発本などで目にしたり、実際に似たような言葉を耳にしたことがあるという方はいると思います。良い言葉ですし、そこからやる気や元気をもらったという方はいるかもしれません。
しかし、本当にそうなのかと首を傾げたくなった人も意外にいるのではないでしょうか。
ここでは、そうした耳障りの良い言葉の中に潜んでいる予想外のリスクについて考えていきます。
可能性という言葉に潜んでいるリスク
先に結論から言いますと、可能性という言葉に潜んでいるリスクとは『過度のプレッシャーを与える』ことです。
もう少し具体的に言うと、「頑張れば何にでもなれる!」みたいに漠然とした可能性を含んだ言葉を多用してしまうのは、それを聞いている側に過剰ともいえる努力を強制し、むしろ可能性を無くしてしまうという結果を本人の意思に関係なく起こしてしまっているのです。
たぶん「頑張れば何にでもなれる!」といった言葉は、子どもの頃に先生や親に聞かされた経験があると思います。ただ、その時のことを思い出してみてほしいのですが、「よし、俺もこれから頑張ろう!」みたいにやる気を出していたでしょうか?
ほとんどの人は「そんなわけ無いじゃん」とどこか冷めた態度で聞いていたと思います。・・・少なくとも、私自身はそうでした(汗)
実際、何かしら成功を収めるためには人一倍の努力よりも、抜きん出た才能が必要になることを大半の人は理解していて、素直に聞き入れられる人は少ないような気もします。
こんな言い方をしますと、「じゃあ、そういう言葉を伝えるのは無駄なわけ?」と疑問に思われた方はいると思います。ここで勘違いをしてほしくないのは、誰かを応援する行為は素晴らしい事ですし、実際にそうした言葉を著名人たちから聞かされて元気や勇気をもらったという方は大勢いると思います。
ただ、注意をしてほしいのは「こう言っておけばいいだろ」みたいな安易な考えで多用してしまうと、むしろ逆効果になってしまうことがあるという事なのです。
そもそもの話、「頑張れば何にでもなれる!」という言葉に含まれている意味そのものを少し考えてみてください。
要約すると「私が今苦しい状況にいるのは、頑張りが足りないせいだ!」といった解釈をすることはできないでしょうか?
ようするに何が言いたいかというと、「頑張れば何にでもなれる!」のように可能性を安易に提示してしまう言葉というのは、「頑張りが足りないから上手くいかないんだ!」といった答えを私たちに持たせてしまうのです。
ここで、もう一つだけ質問をさせてください。私たちの経験するような苦しみの全ては、頑張りや努力で解決できると思いますか?
嫌な言い方になりますけど、ぶっちゃけ無理です。
例えばの話、今まさに私たちを苦しめているコロナウイルスという脅威は、人との密な接触を避けるなどといった方法で拡大をなんとか防止することぐらいはできますけど、個人の努力や頑張りだけで完全に撲滅することはできません。
このように世の中には理不尽な事というのは多分にあり、努力や頑張りだけでは解決できない問題だらけのはずです。そんな中で「頑張りが足りないから上手くいかないんだ!」と考えてしまうのは、ただ単に疲れを増長させるだけで意味をなさないことの方が多いと思います。
こうした自分には不可能な結果でも目を背けることが出来なくなってしまうという意味で、「頑張れば何にでもなれる!」といった言葉は、私たちに対して『過度のプレッシャーを与える』のだと理解しておいてください。
さいご
今回は、可能性という言葉に潜んでいるリスクについて考えてみました。
まとめると、
- 可能性という言葉に潜んでいるリスクとは『過度のプレッシャーを与える』こと
- 「頑張れば何にでもなれる!」みたいに漠然とした可能性を含んだ言葉を多用してしまうのは、それを聞いている側に過剰ともいえる努力を強制し、むしろ『可能性を無くしてしまう』という結果を本人の意思に関係なく起こしてしまっている
最後までお読み頂きありがとうございました。
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