敬老の日の由来とは?【老人を敬う日はどうして生まれた?】

知識

こんにちは! 物書きの忍者です!

今回は、敬老の日の由来について紹介したいと思います。

みなさんは、敬老の日について考えたことはありますか?

その字面から「ようは老人を敬う日だろ?」と殆どの人は何となく理解していると思います。一応2020年9月21日敬老の日なんですけど、単純に国民の祝日としか思っていない方は意外に多いかもしれません。

ただ、敬老の日がもとは9月15日であったという話や、敬老の日が生まれた経緯に関して尋ねられたなら、知らないと答える人も多い筈です。

ここでは、お子さんなど身近な人に尋ねられた時に思わず言葉に詰まったりしない様、敬老の日の由来について紹介していきます。

敬老の日の由来とは?

先に結論から述べますと、諸説ありますが敬老の日というのは1947年に兵庫県の多可郡たかぐん野間谷村のまだにむらというところから始まった『としよりの日』が由来とされています。

元々は「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村づくりをしよう」という主旨のもとで、農閑期(年間で農作業の少ない期間のこと)であった9月中旬の15日を『としよりの日』と定め、敬老会を開いたことが始まりだったそうです。

それが1950年に兵庫県全体に浸透していき、1954年には国民の祝日として全国で知られるようになりました。

ただ、国民の祝日として制定される際に「としよりって表現はちょっとな……」みたいなことを誰かが思ったのか、その際に一度『老人の日』と改称されました。そして老人という表現も気に入らなかったのか、1966年の国民の祝日法改正をきっかけに今の『敬老の日』としてまた改称されて、私達の知る名称になったわけです。

これが良く知られている敬老の日の大まかな由来とされています。

複数ある敬老の日の由来?

最初、敬老の日の由来には諸説あると書いたんですけど、実は先程紹介した『としよりの日』以外にもいくつか説があるんです。

その一つは、『聖徳太子説』とも言われるもので、ざっくりとした説明をしますと、昔に聖徳太子が悲田院(ひでんいん)という貧しい高齢者や病人を収容するための救護施設を9月15日につくったからだとする説です。

その説によると、聖徳太子は大阪に四天王寺を建てた際に四箇院、

  • 敬田院(きょうでんいん)
  • 悲田院(ひでんいん)
  • 施薬院(せやくいん)
  • 療病院(りょうびょういん)

を設置し、これが『敬老の日』だけではなく、現代の医療や社会福祉の始まりだとする説もあります。

もう一つは、『元正天皇説』というもので、簡単に言ってしまうと717年(霊亀3年)に元正天皇という人が養老の滝に行幸した日が9月15日であったからという説です。

行幸のきっかけというのは、酒の流れる滝(養老の滝)を見つけた孝行な息子が、その酒を持ち帰って酒好きであった老父に飲ませてあげたという話を元正天皇が耳にしたことで、孝行な息子に役職を与えて、その年の11月17日に元号を『養老』に改めたそうです。

そうした故事が全国に広まって、最終的に『敬老の日』になったという説です。

正直な話、どれも「本当にそうなの?」と首を傾げたくなるような話で、信憑性は低いかもしれません。ただ、こういう説もあるんだということを頭の片隅にでも置いておいてください。

なぜ9月15日が敬老の日じゃないの?

冒頭で説明したように2020年9月21日が『敬老の日』なんですけど、ここまで読んできた方は「おい15日じゃねぇじゃないか!」とツッコミたくなったかもしれません。

その理由を簡単に言ってしまうと『ハッピーマンデー制度』が関係しています。

『ハッピーマンデー制度』とは国民の祝日の一部を月曜日に移して、土・日・月の三連休にしてしまおうという制度です。これによって敬老の日は2003年9月の第三月曜日に移ることが決まったわけです。

こうした説明を聞きますと、私達からすると「よっしゃ休みが増えたぞ!」と単純に嬉しい事のように感じますけど、やっぱり敬老の日の成り立ちを知っている人なんかは「さすがにそれは不味くないか?」と反発しました。

そのためなのか、意外と知られていない事実として、実は『敬老の日』が移された後に9月15日『老人の日』と名前を変えて残っているんです。

流石に国民の祝日というわけではないんですけど、「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村づくりをしよう」という考えから生まれた日は、また形を変えて今も残っているのだと覚えておいてもらえると個人的にも嬉しいです。

さいご

今回は、敬老の日の由来について紹介しました。

まとめると、

  • 敬老の日というのは1947年に兵庫県の多可郡たかぐん野間谷村のまだにむらというところから始まった『としよりの日』が由来
  • 元々は「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村づくりをしよう」という主旨のもとで、農閑期であった9月中旬の15日を『としよりの日』と定め、敬老会を開いたことが始まりとされる

最後までお読み頂きありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました