死の不安を強調させてしまう行動【不安を大きくさせてしまう考え方】

雑談

こんにちは! 物書きの忍者です!

今回は、死の不安を強調させてしまう行動について紹介します。

みなさんは、死について考えたことはありますか?

身近にいた人の訃報を聞かされた時、偶々つけたテレビのニュースを見た時など、死について考える機会というのは誰にでも少なからずあると思います。

ここでは、死というものに対する不安に押しつぶされないよう、死の不安を強調させてしまう行動について紹介していきます。

死の不安を強調させてしまう行動

先に結論から言いますと、死の不安を強調させてしまう行動とは『実存的孤立に陥ってしまう』ことです。

もう少し具体的に言うと、死の不安を強調させてしまう行動とは、実存的孤立という考え方に支配されてしまうことで、「自分の経験は自分だけのもので、他人には決して理解できない」という感覚に陥ってしまうと、普段から死を連想しやすくなってしまうのです。

前提としまして『孤独』というのは、私たちの健康にとって良くない影響を及ぼしてしまいます。

極端な言い方をしてしまうと、孤独な人ほど認知症になりやすいとか、早死にしやすいだとか、私たちの体に良くないデータが出ています。

ただ、ここで勘違いをしてほしくないのは、重要なのは周囲にいる人の数「友人の多さ」ではなく、本人が「孤独感」を感じているかどうかで、たとえ友達が少なかったとしても本人が孤独を感じていなければ問題はないのです。

ようするに何が言いたいかというと、逆に、周囲に大勢の人がいたとしても、受け取る側である本人が「俺は孤独だ」と孤独感を持ってしまうと、孤独による悪影響が発生してしまうわけです。

それを踏まえたうえで、死への不安を強調してしまう行動について簡単に言ってしまうと『実存的孤立に陥ってしまう』ことになります。

『実存的孤立』というのは「自分の経験は自分だけのものであり、他人とはどうあっても理解し合うことはできない」といった考え方のことで、例えばの話、二人の人がまったく同じ物体、仮にリンゴを見ていたとして、一方は「赤色をしている」と考え、もう一方は「美味しそうだな」と考えるなど、受け取る印象はそれぞれ違い、見え方も違うということです。

正直、言葉にしてみると「そんなの当たり前じゃん」と思うかもしれません。確かに、当たり前のことではあります。

しかし、だからといって「他人と分かり合うのなんて不可能だ」と完全に決めつけてしまうのも、なんとなく良くないと感じる筈です。

誰かと話している時に、偶にですけど「あ、俺もそう思ってた」という気持ちになることは起こりえるでしょうし、ニュースを見ていても共感する機会はそこそこあって、思い返してみると「誰とも分かり合えない」と決めつけてしまうほどではないと思います。

なので、もしも死への不安を抱えたくないと思っている人は、『実存的孤立に陥ってしまう』ことを避けるようにしておきましょう。

さいご

今回は、死の不安を強調させてしまう行動について紹介しました。

まとめると、

  • 死の不安を強調させてしまう行動とは『実存的孤立に陥ってしまう』こと
  • 死の不安を強調させてしまう行動とは、実存的孤立という考え方に支配されてしまうことで、「自分の経験は自分だけのもので、他人には決して理解できない」という感覚に陥ってしまうと、普段から死を連想しやすくなってしまう

最後までお読み頂きありがとうございました。

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