無知だと知っている分だけ賢いという意味ではない?【ソクラテスの無知の知とは?】

哲学

こんにちは! 物書きの忍者です!

今回は、古代ギリシアの哲学者ソクラテスさんの『無知の知』という言葉について考えてみたいと思います。

そもそも『無知の知』という言葉を聞いたことはありますか?

簡単に言ってしまうと『知らないということを自覚する』ということを表現しています。

みなさんも聞いたことがあるかもしれません。ただ、その意味をちゃんと理解している方は意外と少ないと思います。

そこで今回は、この『無知の知』とはどういった意味の言葉なのかもう少し詳しく紹介しようと思います。

無知だと知っている分だけ賢いという意味ではない?

『無知の知』という言葉は、知らないと知っている分だけ自分は周囲よりも賢いという意味ではありません。

私は『無知の知』と聞くと「俺は無知だと自覚している分、他の奴らよりも賢いんだ!」という意味だと勝手に思っていました。同じような意味だと思っている方も意外といる筈です。

しかし、それは間違いでした。

「何で間違いだと言えるんだ?」と疑問に思った方もいるかもしれません。その理由は、『無知の知』という言葉を残した哲学者ソクラテスという人物がどのような人だったかを少しでも知ったならわかると思います。

ソクラテスの生きていた時代、紀元前400年ごろの古代ギリシアでは民主主義が盛んであり、要するに多くの民衆にとって耳障りの良いことだけを言う口の上手い政治家が権力を持っていた時代でした。

そんな時代に生まれたソクラテスは、その口の上手い政治家たちに質問を投げかけることで、彼らの発言にある矛盾を指摘していきました。

例えると、演説をしている人に突然「○○って何ですか?」と質問し、その後で「それって間違っていませんか?」と指摘する行為を繰り返したわけである。ここだけ見ると、ただ難癖をつける嫌な奴にしか見えません。

しかし、ソクラテスの取ったこの行動には『偉そうに話している知識人でも本当は何も知らない』ということを民衆にも話している政治家自身にも気づかせようという考えがありました。

つまり『無知を自覚している分だけ賢い』ということを言いたかったのではなく、『無知だからこそ知ろうと努力しよう』と伝えたかったのだと思います。

知らないからこそ知る努力をする

『無知の知』とは、全てを知っているつもりでいても、意外と私達は知らないことも多くあるので、学ぼうとする努力をし続けようという意味である。

少し想像してみてください。自分が気持ちよく話をしている時に横から入り込んできて「それ間違っているよ?」と多くの人の前で指摘されるわけです。嫌な気分になりませんか?

そんなことをし続けたために、ソクラテスは裁判に掛けられることになります。

多数決の末に有罪になり、捕まってしまったソクラテスは逃げられるチャンスがあったにも関わらず、自ら僕を飲んで自殺してしまいます。

なぜ毒を飲んで自殺してしまったのでしょうか?

それは、ソクラテスが最後まで真理を追い求めていたからです。つまり、知識人と呼ばれていた政治家たちの言っていたような自分が問答で簡単に覆せるような答えではなく、本当に正しいものを知りたいと求めていたのです。

捕まってしまう等、少し危険になったくらいで答えを変えてしまうようでは、自分が矛盾を指摘してきた政治家たちと同じだと考えたのかもしれません。そんなことをしたくなかったソクラテスは、自らの意志で自殺することを選びました。

それほどまでに、本当に正しい答え『真理』というものを求めていたわけです。

『無知の知』という言葉は、自分達は無知であることを自覚して、その真理を知るために努力してほしいという意思が込められているのかもしれません。

さいご

今回は、古代ギリシアの哲学者ソクラテスさんの『無知の知』という言葉について考えてみました。

まとめると、

  • 無知だと知っている分だけ賢いという意味ではない?
  • 知らないからこそ知る努力をする

こうして私がブログを書いていること自体『無知の知』です。記事を書いている度に、自分の無知とバカさがよくわかります(汗)

だからこそ、もっといい記事を書けるように努力し続けます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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