こんにちは! 物書きの忍者です!
今回は、プロタゴラスの相対主義について紹介します。
みなさんは、プロタゴラスという名前を聞いたことはありますか?
正直、「誰?」と思った人の方が多いかもしれません。プロタゴラスとは、紀元前485~紀元前410年にかけて活躍していた哲学者のことで、「人間は万物の尺度である」という有名な言葉を残した人でもあります。
ここでは、そんなプロタゴラスという哲学者の唱えていた相対主義について紹介していきます。
プロタゴラスの相対主義
まず最初に少しだけ考えてみてほしいのですが、「人間は万物の尺度である」というのは、どういう意味だと思いますか?
まず「尺度」という言葉を使っていることから、何かを判断しようとしているというイメージはできると思います。そして「万物」とは簡単に言ってしまうと「ありとあらゆるもの」を表している単語です。
これらを組み合わせると、「人間」が「ありとあらゆるもの」を判断するための基準となる、みたいな意味になります。・・・自分で言っておいてなんなんですが、これだけだと、まったく意味が分かりません(汗)
プロタゴラスの言葉の意味を理解するためには、まず、彼の活躍していた紀元前480年頃の時代背景を知る必要があります。
まず前提としまして、その時代においては、人々は自分の理解を超えた物事、現象に対して「それは神様がお怒りになって起こしているのじゃ!」とか、「いや、精霊様の祝福なんだ!」とか、「いやいや、山に住み着いた怪物が引き起こしているだよ!?」とか、村という規模で各々の見解を出して暮らしていました。
そんな中で、ずっと狩猟によって生活してきた人類は新たに『農耕』という文化を手にしたことで、「村」という小規模ではなく、「都市」というより大規模での生活が可能になり、結果として、既存の村々が合併していくことになりました。
しかし、ここで問題が発生します。
違う環境で暮らしていた村々が一緒になることで、それまで常識とされていたこと、例えば『雷』に対して、ある村では「これは神様の怒りだ」と思っていたのに、別の村では「これは精霊様が奇跡」と考えられており、また別の村では「山に住む怪物が引き起こしている」などと、まったく別の見解を持っていたことが判明してしまいます。
少し想像してみれば分かることかもしれませんけど、これまで自分が正しいと思ってきたことを、赤の他人から「いや、それは間違っている!」と指摘されて納得できる人などそうはいません。
そんな時代の中で登場したのが『相対主義』の提唱者プロタゴラスで、彼の発した「人間は万物の尺度である」という言葉につながります。
つまり、「人間は万物の尺度である」というのは、物凄くざっくりとした言い方をするなら「価値観なんて人それぞれさ」という意味で、例えばの話、雷という自然現象でさえ、ある時は「神の怒り」となり、またある時には「山に住む怪物の起こしていること」などと、近くする人によって変わるということを表しています。
そして、プロタゴラスの提唱する『相対主義』とは、そんな絶対的な価値観の崩壊してしまった時代に生まれた哲学で、何が正しくて何が間違っているのか、真理とはその時代、その人、その環境によって相対的に変化するものだと唱えたものなわけです。
さいご
今回は、プロタゴラスの相対主義について紹介しました。
まとめると、
- 『人間は万物の尺度である』というのは、物凄くざっくりとした言い方をするなら「価値観なんて人それぞれさ」という意味
- プロタゴラスの提唱する『相対主義』とは、そんな絶対的な価値観の崩壊してしまった時代に生まれた哲学で、何が正しくて何が間違っているのか、真理とはその時代、その人、その環境によって相対的に変化するものだと唱えたもの
最後までお読み頂きありがとうございました。
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