こんにちは! 物書きの忍者です!
今回は、いつまでたっても楽を感じられない理由について考えてみたいと思います。
みなさんは、いつになったら今の仕事が楽になるのかと考えたことはありませんか?
考えたことのない方はいない筈です。仕事に限った話ではなく、スポーツ選手のしているトレーニングやお坊さんの修業など、長い間つらい状態の続く行為というのは色々と存在しています。
そんな環境の中に身を置いて、いつになったら自分は楽になれるのかと、誰しも一度は考え悩む筈です。
ここでは、いつまでたっても楽を感じられない理由について考えてみたいと思います。
いつまでたっても楽を感じられない理由
まず誠に勝手ながら私自身の意見から先に言わせてもらうと、いつまでたっても楽を感じられない理由とは『基本的に楽になれる瞬間など存在しないから』だと考えています。
もう少し具体的に言うと、トレーニングや修行のように長い時間をかけて厳しい環境に身を置く行為は、続けている間に慣れてしまうことはあっても、そうなると効果もあまり感じなくなってしまうので、そうならないために楽になるという状態は基本的にやって来ないのです。
そもそもの話なんですけど、私たちの言う「楽を感じられる状態」というのは、具体的にはどういったものなのでしょうか?
人によって答えは色々とあるとは思いますけど、とりあえず、ここでは『すべての悪感情を脱した状態』とします。
もう少しわかりやすい言い方をしますと、例えばの話、自分がどこかの軍に所属して厳しいトレーニングをしている姿を想像してみてください。
そんな中で、殆どの人は「何で俺がこんなことしなきゃいけないんだ!」とか「あぁ~、マジで早く寝たい」などと弱音を吐きたくなると思います。ようするに、こうした弱音なんかを口に出すどころか、一切考えもしなくなるような状態だと思っておきましょう。
それを踏まえたうえで、実際に『すべての悪感情を脱した状態』というのはどんな状態なのか、自分が弱音なんかを一切考えなくなっている所を想像してみてください。正直、ホントかなり追い詰められている状態を想像してしまうと思います(汗)
ぶっちゃけてしまうと、私たちが「楽を感じられる状態」と思っているものは大まかに言ってしまうと二つです。
- 厳しい状況の中に楽しさを見つける
- 厳しさに慣れて一切なにも感じなくなる
ようするに、「これを続けてるから俺は強くなってる!」みたいに自分の中で楽しいと思える部分を見つけてしまうか、「これぐらい別に普通だろ?」と思うくらいに辛さや厳しさなんかを何も感じない状態になるかのどちらかなのです。
「楽」はないと考えた方が「楽」?
ここで少し嫌な言い方になりますけど、自分で偉そうに言っておいて何なんですが、この二つってかなり見積もりが甘いように感じませんでしたか?
先程、軍のトレーニングで例えましたけど、仮にガチでそんな環境に自分が立たされたとして、「これを続けてるから俺は強くなってる!」とか、「これぐらい別に普通だろ?」と思えるように自分はなれると思いますか?
もしそういった状態になれるとしても、その日は数ヶ月や半年で達成できるものではなく、おそらく数年も後の話だと思います。それまではずっとつらいだけですし、そもそも、そんな日が本当に来るのかも疑問に感じる人は意外に多い筈です。
なので、私の勝手な考えですけど『基本的に楽になれる瞬間など存在しないから』のだと思って生きていく方が、楽なのではないかと考えています。そのうえで、どうしても嫌だと感じるなら逃げてもいいんだと自分の中で決めています。
もしも今の仕事なんかに辛さを感じて「いつになったら楽になるんだ?」と考えてしまった事のある方は、基本的に楽になる瞬間などないと開き直ってみて、いざというときは逃げてみることおも視野にいれて生きてみましょう。
さいご
今回は、いつまでたっても楽を感じられない理由について考えてみました。
まとめると、
- いつまでたっても楽を感じられない理由とは『基本的に楽になれる瞬間など存在しないから』
- トレーニングや修行のように長い時間をかけて厳しい環境に身を置く行為は、続けている間に慣れてしまうことはあっても、そうなると効果もあまり感じなくなってしまうので、そうならないために楽になるという状態は基本的にやって来ない
最後までお読み頂きありがとうございました。
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