こんにちは! 物書きの忍者です!
今回は、素直に受け入れられないことの弊害について考えてみたいと思います。
みなさんは、人に言われて納得のいかなかったことはありませんか?
大事な要件からしょうもない話まで、何となく受け入れられないと感じる機会というのは意外にあると思います。正直、親しい友人だとかでもない限りは、相手の発言すべてを無条件で聞き入れられるという方はいない筈です。
というか、親しい人の発言であっても納得のいかないときは多々あると思います。
ここでは、相手の発言に不満を感じたことのある方に向けて、素直に受け入れられないことの弊害を考えてみたいと思います。
素直に受け入れられないことの弊害
先に結論から言いますと、素直に受け入れられないことの弊害とは『選択肢を狭めてしまう』ことです。
もう少し具体的に言うと、相手の発言に対して不満を感じてしまうと、無意識にその発言に関わる行動を取りづらくなってしまい、結果的に選択できる方法の数を少なくしてしまうのです。
そもそもの話、なんでもかんでも素直に受け入れてしまうことは難しい事ですけど、それはそれで問題だと思っています。ぶっちゃけ私自身、しょうもない内容でいつも反発しています(汗)
例えばの話で、何でもすぐに信じてしまう幼子のように純粋な人の姿を想像してみてください。正直、客観的な印象として、その人はメチャクチャ生きにくいと思いませんか?
だって、私たちは生きていくためにもどうしたって嘘をつかなければいけない機会が多く存在していますし、何より、世の中には信憑性の不確かな明らかに害悪にしかならない様な嘘に触れる場面も多々あります。それらすべてを信じてしまうことは、良くない結果しか生まない筈です。
にも関わらず、なんで「他人の話は無条件に納得しろ!」みたいな話を始めたのかと言いますと、そうすることに大きなデメリットがあるからです。
ここで少しだけイメージしてみてほしいんですけど、自分にはない新しい技術を習得するために、その道のプロである人物の許で修行をしていたとしましょう。
そこで、
- 師匠の指示したことを忠実に守る『弟子』
- 師匠の指示したことに全て反発する『弟子』
この2パターンの弟子がいたとして、どっちの方が早く技術を身につけられるでしょうか?
たぶん殆どの人は「忠実に守る弟子」の方が早く技術を身につけると思う筈です。なぜなら、「忠実に守る弟子」は身につけたい技術を持っている先駆者がそうすべきだという考えから出しているアドバイスを根拠に行動しています。
逆に、「全てに反発する弟子」はそうした技術を身につける上で最も効率の良い方法を拒んで、素人である自分の考えを根拠にして行動することになるわけですから、どうしても差が出てしまう筈です。
ようするに何が言いたいかというと、素直に受け入れられないことで起きる大きなデメリットとは、先程の「全てに反発する弟子」のとった行動のように、私たちの取れる選択肢を自身の手で狭め、結果的にひどく遠回りをする可能性を生み出してしまうのです。
なので、すべての考えを無条件で受け入れる必要はありませんけど、反対になんでもかんでも否定して『選択肢を狭めてしまう』ような結果にならないように、普段から気を付けておきましょう。
さいご
今回は、素直に受け入れられないことの弊害について考えてみました。
まとめると、
- 素直に受け入れられないことの弊害とは『選択肢を狭めてしまう』こと
- 相手の発言に対して不満を感じてしまうと、無意識にその発言に関わる行動を取りづらくなってしまい、結果的に選択できる方法の数を少なくしてしまう
最後までお読み頂きありがとうございました。
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