なぜ出る杭は打たれる社会が成立するのか

雑談

こんにちは! 物書きの忍者です!

今回は、なぜ出る杭は打たれる社会が成立するのかについて考えてみたいと思います。

みなさんは、『天才』と称される人物にどんな印象を持ちますか?

答えは人それぞれで、尊敬や羨望など好意的な印象を持つ人もいれば、嫉妬のようにどちらかというと悪感情に近いモノを持つ人もいます。中には、そういった周囲の評価にまったく関心を持たない人もいるかもしれません。

ただ、個人の勝手なイメージかもしれませんけど、私たちの生きている社会というのは単純に『天才』という人材が生きにくい社会のような気がします。

ここでは、今の社会に関して有能な人材が生きにくいのではないのかと少しでも考えたことのある方に向けて、なぜ出る杭は打たれる社会が成立するのかについて考えてみたいと思います。

なぜ出る杭は打たれる社会が成立するのか

先に結論から言いますと、なぜ出る杭は打たれる社会が成立するのかというと『突出した能力ではなく、協調性のほうが好まれているため』だと考えています。

もう少し具体的に言うと、私たちが生きている今の社会というのは、今迄に存在しなかったものを創造したり、推し進めようとしたり社会を変化させる能力よりも、現状を維持して社会を安定させようとする能力の方が好まれているためです。

そもそもの話ですけど、私たちの思っている『天才』と称される人と言うのは、具体的にどういった人を指しているでしょうか?

人によってその答えは色々とあるかもしれません。ただ、わかりやすい定義の一つを挙げるなら『周囲に多大な影響力を持った人』だと思います。

どういうことかと言いますと、ちょっとだけ考えてみてほしいのですが、自分の中で『天才』だと思う人物を幾つか想像してみてください。

  • 新聞やテレビでみた天才
  • 偉業を成し遂げた昔の人
  • 自分の身近にいた何かしらの才能を持った人

適当に羅列しましたけど、ピアノが異常に上手い人もいれば、他の人とはまったく違う発想のできる人など、天才のイメージというのは人によって様々です。ここで質問なんですけど、この時に私たちが想像した『天才』たちに共通点はないでしょうか?

たぶん、その共通点のひとつとして「彼女の演奏に感動した!」とか「あの人の発明に救われた!」のように、周囲や社会に対する大きな影響という背景があったはずです。

例えばの話で、そもそも自分がなぜその人を天才だと思ったのかを考えてみて、仮に、その『天才』だと思っていた人が、誰にも会うことなくずっと部屋に引きこもって、電子機器にも触れずに一人で黙々と作業しているような人だったなら、自分はその人の事を『天才』として想像できたでしょうか?

どんなに才能があろうとも、その人が私たちの生活に関わるような何かを実際に起こさない限り、存在にすら気付かない筈です。

ようするに何が言いたいかというと、私たちが『天才』として認識している人物というのは、私たちの言る社会や周囲に対して多大な影響力を持っていて、変化させられるだけの力を持った人物を指しているのです。

出る杭が打たれるのは、変化を拒むため?

で、話を戻しますけど、どうして今の社会というのはそういった『天才』ではなく、私たちのような凡人が蔓延り「出る杭は打たれる社会」になっているのでしょうか?

その理由を一言で言ってしまうと、今の社会というか私たちが無意識のうちに現状維持、周囲が変化しようとすることを拒んでいるためなのです。

どういうことかというと、例えばの話で、とある仕事で自分が超巨大なジグソーパズルを組み立てている姿を想像してみてください。部屋一面を占領してしまうような巨大さで、ピース一つ一つも複雑な完成のメチャクチャ困難な作品です。

それを四苦八苦しながらも半分以上完成させたところで、仕事の依頼者から「ごめん。用意してた絵と違ったから、最初から作り直してくれる?」と言われたとしたらどう思いますか?

たぶん、殆どの人がその依頼者にブチ切れると思います。完成間近なところを途中で止められ、余程のことでもない限り、そのまま続けさせるように説得するかもしれません。

ようするに何が言いたいかというと、私たちはこの作業のように途中で「作り直して?」と中途半端なところで軌道修正されることに不快感を覚え、そのままの状態を継続させ、行動しようとしてしまうのです。

このように私たちの考える『天才』という存在は、インターネットの普及や携帯電話の登場など、ふとした瞬間に私たちの生活を劇的に変えるような発明や行動を起こすために、無意識に変化を拒んでしまっている私たちに抵抗感を持たせてしまっているのです。

正直、納得のいっていない方は大勢いるかもしれません。ただ、世の中には私たちみたいな凡人が大多数を占めており、昔よりはマシかもしれませんけど、共感してもらえる人も少ない『天才』は今でも生きにくくなっています。

そのことを念頭において、少しでも能力のある人が社会で生きやすいように行動してみましょう。

さいご

今回は、なぜ出る杭は打たれる社会が成立するのかについて考えてみました。

まとめると、

  • なぜ出る杭は打たれる社会が成立するのかというと『突出した能力ではなく、協調性のほうが好まれているため』から
  • 私たちが生きている今の社会というのは、今迄に存在しなかったものを創造したり、推し進めようとしたり社会を変化させる能力よりも、現状を維持して社会を安定させようとする能力の方が好まれているため

最後までお読み頂きありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました