こんにちは! 物書きの忍者です!
今回は、時間をつぶしている意外な要因を紹介します。
みなさんは、あっという間に時間が経過していたという経験をしたことはありませんか?
自分でも気づかない間に休憩時間や休みの日が終わっていたという経験を持っている方は意外に多いと思います。そして、あとになってから嘆いてしまっている筈です。
ここでは、そうした自分にとって無駄なことを起こしてしまわない為に、時間をつぶしている意外な要因を紹介していきます。
時間をつぶしている意外な要因
先に結論から言いますと、時間をつぶしている意外な要因とは『嫌いなものに集中しすぎてしまう』ことです。
もう少し具体的に言うと、私たちは「つまらない」と感じた作品に文句を言うなど、自分の中で嫌いだったり無駄だと思っているものに対して批判をすることで、頭で理解している以上に時間や労力を消費してしまっていることがあるのです。
大前提としまして、人にはそれぞれ気に入らない人物や嫌いな物があると思います。好き嫌いがあるのは人として当然のことですし、無理をして博愛主義みたいな精神に目覚める必要性はありません。ぶっちゃけ私自身「は? 何でこんな本が売れてんの?」と平気で口にしてしまえるくらいには、嫌いな物をたくさん抱えています(汗)
ただ、ここで目を向けてみてほしいのは、そこで「俺はこれが嫌いだ!」と表明するよりも、他に気にすべき重要なことはないのかという問いなんです。
少し回りくどい言い方になりましたけど、ようするに、「俺はこれが嫌いだ!」と表明することに気を取られて、自分の好きな物から意識が逸れていないかという問題なのです。
例えばの話で、背の高い木のてっぺんに実ったブドウを、一生懸命にジャンプをしながら取ろうとしている狐の姿を想像してみてください。何度挑戦しても取ることが出来ずに諦めたキツネが、捨て台詞のように「どうせあんなブドウなんて、すっぱくて不味いに決まっている!」と言ったとしましょう。
これはイソップ寓話の『すっぱい葡萄』という話なんですけど、もしもの話、その後にやってきた別の狐がどうにかブドウを手にして、美味しそうに食べている姿を見た後、まったく同じ台詞を吐いたとしたらどうでしょうか?
負け惜しみだと感じるかもしれません。もしかすると、ブドウを取れなかった狐は、友達から勧められてもブドウにも同じ台詞を吐くようになって、ブドウの美味しさを知らずに一生を終えるかもしれません。
ただ、仮にですけど、ここで狐が「それ、どうやって取ったんだ?」と質問を投げかけたとしたらどうでしょう。もしそこですんなりと方法を教えてもらえたなら、悪態を吐きながら帰るよりも、先程まで必死にジャンプをしても取れなかった無駄な時間も少しは報われると思いませんか。
ようするに何が言いたいかというと、私たちが何気なくしている「俺はこれが嫌いだ!」という批判は、『すっぱい葡萄』において狐が必死にジャンプをして、最後にブドウをそのままにして悪態を吐きながら帰っているのと同じ無駄な時間になっているのです。
また、知りもせずに否定しまう行為は、狐がブドウの味を知り得なくなったように、自分にとって役に立つ情報や選択肢を捨ててしまっている可能性も生み出しています。
そうならない為にも、他の狐から取り方を教わるなど、別のことに時間を割くように意識することが大切なのです。
自分がキツネのように貴重な時間をジャンプだけしておわってしまっていないか、『嫌いなものに集中しすぎてしまう』ようにならないよう意識して行動してみましょう。
さいご
今回は、時間をつぶしている意外な要因を紹介しました。
まとめると、
- 時間をつぶしている意外な要因とは『嫌いなものに集中しすぎてしまう』こと
- 私たちは「つまらない」と感じた作品に文句を言うなど、自分の中で嫌いだったり無駄だと思っているものに対して批判をすることで、頭で理解している以上に時間や労力を消費してしまっていることがある
最後までお読み頂きありがとうございました。
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