自由とは呪い【人間は自由の刑に処されている?】

哲学

こんにちは! 物書きの忍者です!

今回は、フランスの哲学者サルトルの残した『人間は自由の刑に処されている』という言葉について考えてみます。

みなさんは『自由の刑』という言葉を聞いたことはありますか?

たぶん、聞いたことのない人が殆どで、そもそも自由というのは良い事で『刑』なんて言葉と一緒に考えるのは間違っているような気もするはずです。

ここでは、そんな違和感を感じる言葉『人間は自由の刑に処されている』の意味について紹介していきます。

自由とは呪い

先に結論から言うと、『人間は自由の刑に処されている』というのは『人間は何が正しいのか分からない不安定な状態で、ずっと何か選択することを運命づけられている』ことを表しています。

「は?」と思ったかもしれません。確かに、これだけではちょっとわかりにくいです(汗)

例えばの話、あなたの前に突然神さまが現れたとします。その神さま「ここで宝くじを買えば、必ず億万長者になれますよ」みたいなことを教えてくれたとしましょう。その時、あなたならどうしますか?

おそらく、多くの方が疑いながらもその教えられたことを実行するはずです。だって、宝くじを買えば億万長者になれるってわかっているわけですから、その神さまに疑いを持たない限りは、買わないという選択肢を選ぶわけがありません。

つまり『これをすれば必ず成功する』みたいに、それが『正しい選択』だと分かっていれば私達は迷うことはないわけです。

こうした『正しい選択』だと神さまのような誰かに教えてもらえるわけでもなく、人間は、それが『正しい選択』かどうかわからない状態でも迷いながら選択し続けなければいけません。

しかも、もし選んだことが『正しい選択』でなかった場合、その責任を負うのは選択した私達自身です。そうした理不尽ともいえる点から、サルトル『自由』というのを『刑』『呪い』と表現しました。

『自由』は経済のゆとりから生まれた

そもそも、サルトル『人間は自由の刑に処されている』という考え方はどうして生まれたのでしょうか?

それはサルトルという哲学者が現れた時代に関係があります。彼が生まれたのは1905~1980年頃、資本主義という考え方が浸透したために経済が急激に発展して、人々の生活はかなり豊かになっていました。

つまり、毎日必死に働くしかなかった人たちに、少し余裕の持てる時間が生まれたということです。

ここで少しだけ考えてみてほしいのですが、『自由』というのは何でしょうか?

社畜という言葉が存在するように、私達は雇われている立場で働いている時、『時間を拘束されている』という感覚を覚え、休みの日などそこから解放される瞬間を『自由』と表したりします。

ようするに、『自分の裁量だけで選択できる時間』みたいなのを『自由』としているわけです。

こうして客観的にみると『自由』というのは素晴らしいもののように思えます。しかし、そこに待ったをかけたのがサルトルでした。

例えばの話、毎日朝からずっと畑仕事をして夜になると寝ることを繰り返している人がいたとして、『自由』なんてなさそうなその人は不幸せなのでしょうか?

必ずしもそうとは限りません。その畑仕事を楽しんでいるかもしれませんし、逆に『自由』を手にしたとしても幸せになれるわけではありません。

むしろ、自由の生まれた今だからこそ、誰かによって『既に決められている』ことの方が幸福なのかもしれないとサルトルは考え、『人間は自由の刑に処されている』と表現したわけです。

さいご

今回は、フランスの哲学者サルトルの残した『人間は自由の刑に処されている』という言葉について考えてみました。

まとめると、

  • 『人間は自由の刑に処されている』とは、人間は何が正しいのか分からない不安定な状態で、ずっと何か選択することを運命づけられているという意味
  • この考え方は、資本主義により生活が豊かになり、人々が『自由な時間』を手に入れたために生まれた

最後までお読み頂きありがとうございました。

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